クローブ犬は考える

The style is myself.

Day 2: ただいま!仏生山カレー

2015年8月20日(木)

朝は四角いトップライトの光で目覚めて、素敵すぎるモーニングサービスに満足したので、もうカレーづくりはやめて、温泉に入って肉うどんとかき氷を食べてのんびりと午後を過ごそうか…と誰もが思っていた(ように見えた)。10:30過ぎに仏生山温泉に着くと、すでに、やぼらってぃ(加藤研の学生)が到着していた。

ここでカレーをつくったのは、ちょうど1年前の8月20日だった。偶然は、うれしい。荷物を降ろしてテントを張ってから、買い物に出かけた。たまねぎ、ゴーヤ、ナス、トマトなど、地元で獲れた野菜をたくさん買って帰り、けっきょく、カレーをつくりはじめたのは13:00過ぎだった。雨の予報だったのに、途中、ほんの少しだけぱらつく程度で、青空と太陽の下で鍋を炊いた。

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2度目なので、ぼくたちなりに使い勝手がわかっていて、とてもやりやすかった。何より、この1年間で20回以上、まちなかでカレーをつくったおかげで、(味はともかく)段取りする術は身についた。設営と撤収だけは、確実に上手くなったと思う。

そして17:00ごろには、「ただいま!仏生山カレー」ができた。聞いたところによると、カレーのにおいが、温泉のほうまで漂っていたようで(ここの湯どのは、空を眺められるようになっているので、遮られることなく、スパイスの香りは届いていたはず)、少しずつ人が集まってきた。仏生山温泉にかぎらず、どこでカレーをつくっていても、この感じは面白い。みんな、「え、どこにいたの?」と思うくらい、いいタイミングで鍋のそばにやって来るのだ。

温泉とカレーは、やはり相性がいい。辛いのを食べて、汗をかいてから温泉に入るのもいいし、ぬる湯に浸かってお腹がすいたところでカレーを食べるのもいい。もちろん、行ったり来たりすることもできる。

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提灯ライトを点けて、みんなにカレーを配る。駐車場が、広場に変わる。ここには「長居させる」空気が流れているのだ。それが、とても心地いいので、再訪する人が増える。ぼくたちも、(勝手に)「ただいま!」という感じで出かけて行って、(きっと)「おかえり」と迎えてもらえるような気になっている。

そして、さりげなく人を想う。ちょっと、縁台を移動する。ビールケースに角材を渡してベンチにする(でも、ちゃんと紙を巻いてお尻が汚れたりトゲが刺さったりしないようにする)。カラーチョークを使ってもいいよ…と言う。すべて、その時どきの雰囲気に合わせながら、ゆるやかに場所をつくってゆく。だから、みんな安心して、ごく自然に腰を降ろして、カレーを食べる。子どもたちは、アスファルトに虹を描く。

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うれしい再会がいくつもあった。岡さんご夫妻、ちびっこたちはもちろんだが、わたなべさんにも、長谷部さんにも会うことができた。去年もぼくたちのカレーを食べた…という人もいた(去年は食べ損なったので、今年は早く来たという人も)。あっという間に、カレーがなくなった。

温泉で汗を流してひと息。きょうは、「Kinco」というホステル(& カフェ)に逗留。じつは、これも岡さんの手によるもので、今回は(結果として)岡さんの作品を巡る旅になった。それも、たんに雑誌の図版を眺めるように接するのではなく、店主とことばを交わしたり、実際に泊まってみたり。どれも個性的だが、すべて、人と人との接点が生まれるような(生まれそうな)設えになっている。ダイニングテーブルではなく、「ちゃぶ台」の感じを復活させようとしているのかもしれない。ふと、そう思った。

 

 【おまけ:定点カメラで見るカレーキャラバン(仏生山編2)】

 

 【おまけ:定点カメラで見るカレーキャラバン(仏生山編2)カレー食べる】

Day 1: はじまり。

2015年8月19日(水)

「関西ロード2」のはじまり。ドタバタと支度をして、朝5:30に木村さんたちと待ち合わせ。荷物をたくさん積み込んで、出発した。目指すは、仏生山温泉(香川県高松市)。およそ680kmのドライブだ。ふつうだったら、東京から高松までのドライブは敬遠しそうだが、すでに去年も走っているせいか、あまり気にならない。まぁ、交代しながら運転すれば楽しい道のりだという感覚だ。ここ数年のカレーキャラバンの活動で、ぼくたちは、長距離ドライブを厭わない身体になってしまったのだ。

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道中、ぼくたちが移動するときの「ゆるさ」について話をした。いつも、あまり時計を気にしない。サービスエリアに行くと、ゆっくり食事をしたり、おみやげを見たり、写真を撮ったり、平気でゆるゆると過ごしてしまう。時間の使い方にもっと厳しくなれば、もう少し早く目的地に着くはずだ。

ということで、今回は、パーキングエリア/サービスエリアで休憩するときは、最長30分まで。何かを食べるなら、時間がかからないように手軽なもの(たとえば「串にささったもの」など)にかぎる…という申し合わせをした。ルールをつくって、自らの行動を律するのだ。とくに、今回は、きみこさんが飛行機で高松に向かうことになっていたので、のんびりしすぎるのはよくない。厳格に決めていたはずなのに、2度目(3度目?)の休憩のときには、あっさりとルールが破られ、みんなで座ってごはんを食べた。

けっきょく、仏生山温泉に到着したのは15:20ごろだった。さっそく、岡さんと再会(3月に京都のイベントで会う機会があったが、高松で会うのは1年ぶり)。ちょっと腹ごしらえをして、そのあとで、岡さんの案内で仏生山温泉の界隈を散歩した。「へちま文庫」と「TOYTOYTOY」へ。いずれも、ウェブでようすは見ていたが、実際に行くのは初めて。この1年間で、「まちぐるみ温泉」は、確実に成長していたのだ。急がず、でものんびりしすぎない。これからも、絶妙なペースで仏生山温泉の界隈は変わってゆくのだろうか。来るたびに少しずつちがう…ということなら、また来るしかない。そうやって、岡さんは、にやにやとしながら、ぼくたちを誘っているのだ(きっと)。

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そして、きょうの逗留地は「仏生山まちぐるみ旅館 縁側の客室」。幸運にも予約が取れた。とても素敵な空間だ。いま、23:00ごろ。長〜いテーブルで、この文章を書いている。すやすやと寝ている人、メールをチェックしている人、仕事をしている人。みんな一緒だけど、好き好きに過ごしている。ばらばらだけど、つながっている。だから、居心地がいい。

明日は、1年ぶりに仏生山温泉でカレーをつくる。

旅の支度 2015

あのアツかった「関西ロード」から、ちょうど1年。ふたたび、いつものファミレスに集まった。ぼくたちの「第二章」がはじまるのだ。昨年は、淡路島(淡路島アートセンター)〜高松(仏生山温泉)〜小豆島(馬木キャンプ)を巡って、カレーをつくった。なぜか四国方面にご縁があるらしく、今年もふたたび出かけることになった。

みんな、やらなければいけないことがたくさんあるのだが、うまく調整して、なんとか時間を捻出した。この1年間、いろいろな場所に出かける機会があったので、だいぶ要領もよくなってきた(はず)。「第二章」は、通算で42回目・43回目(番外編を除く)のカレーづくりになる。

そう、「平静を保ちながら、いつもどおりにすすむ(curry on)」のである。f:id:who-me:20150811105609j:plain1時間半ほど、全体の流れや宿泊場所、持ち物などについて打ち合わせをした。今年は、高松の仏生山温泉(2回目)と、高知の土佐山田に逗留する予定だ。昨年との大きなちがいは、後半の土佐山田については、並行して加藤研の「土佐山田キャンプ」(ポスターづくりのワークショップ)がおこなわれるという点だ。カレーキャラバンは、学生たちのフィールドワーク(と食事)を支える、「炊き出し」的な役割を果たすことになる。ぼくたちは高松に前ノリし、カレーをつくってから、山を越えて高知に向かうという行程だ。

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打ち合わせを終えて、木村さんのトゥインゴから、器財を降ろし、カングーに載せた。今年もまた、ロードムービーのような時間がはじまる。

去年は、別れぎわに円陣を組んで「カレーッ、キャラバーン!」と声をあげたのだが、今年は地味な解散だった。疲れているのかもしれない。もう面倒くさいと感じていたのかもしれない。きっと、天気のせいだ。そう思うことにしよう。

台風の動きが気になるが、元気に出発したい。まだまだ、夏を終わらせたくないのだ。

「ゆるさ」があれば(3)

「もっともらしい」話

カレーキャラバンの活動は、あっという間に4年目をむかえた。いまでは、だいたい月に1回のペースで、いろいろなところに出かけてカレーをつくっている。先日、上井草(東京都杉並区)でカレーをつくったのが、36回目(番外編を除く)だった。当然のことながら、出かけるたびに、まちの人との会話がある。依然として多いのは、「何のためにやっているの?」「どういう意味があるの?」という問いかけだ。とくに目的や意味は考えず、楽しいだけで続けている…つまり、これは「趣味」なのだとこたえると、さらに「わからない」と言われる。怪訝そうな顔をされることもあるので、ぼくたちも、いろいろな「こたえ」を考える。

昨年の夏に『つながるカレー』*1をまとめたのも、「こたえ」だと思うのだが、こんなふうに本の内容を紹介していただいた。*2

(中略)そんな場所と場所の隙間が往来であり、広場である。それらは通り道であることのほかに、子供の遊び場になり、夕涼みの場所になり、大道芸のステージになり、祭りの会場にもなる、つまり意味の緩さや多面性がある。彼らの行っているカレーキャラバンとは、そんな場所に大きなカレー鍋を持ち込んで、いいにおいを振りまきながら人々にカレーを振る舞うこと。すると何が起こったか。
主婦、学生、買い物客、老人、商店主、サラリーマン。いつもはそれぞれの場所で目的に合った行動をする存在だった人々の役割が一度リセットされるようだ。誰かと一緒にカレーを作って食べることで、まだ何者でもない自分、これから誰とでも関係を築ける可能性を持った自分を思い出すことができる。同じ地域 を共有している者どうしなのに、バラバラだった自分たちに気がつくのである。

この書評を読んで、「そう、そうなんです」と、嬉しくなった。ぼくたちは、これまでに、カレーを配るときの光景を何度も見てきた。道路が、(ほんのわずかな時間だけ)広場に変わる、そのようすが、この書評で語られていた。「何のため?」という問いへのひとつの「こたえ」は、カレーキャラバンの活動を「場づくり」の方法として語るというものだ。

たとえば恩田守雄さんは、その著作のなかで、「公共」ということばが曖昧につかわれていることを指摘する*3。ぼくたちは、「公共」と「私」を対比させて語ることが多いが、じつは「公」(パブリック)と「私」(プライベート)のあいだに、「共」(コモンズ)の領域があった(ある)ことを認識しておくが大切なのだ。ここで言う「共」は、地域に暮らす人びとの共益が、私益や公益よりも優先される領域のことだ。「誰のものでもあって誰のものでもない場所」ということだろうか。かつては、わかりやすい形で「共」の存在が認知されていたが、現代社会では、もはや「共」は独自の領域をもちえず、その存在そのものが見えにくくなっているという。その結果、「供出」や「互助」の精神は希薄になる。身の回りの多くのことがらを、「公」か「私」かで判別してしまうからだ。人びととのかかわりについて考える際には、「共」を取り戻す方法や態度が求められる。

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いまの話をふまえて、カレーキャラバン当日の写真を眺めると、とても面白い。この写真には、「公」と「私」の境界線がくっきりと写っていることに気づくはずだ。縁石の右側は、カレーキャラバンのために(一時的に)貸してもらった駐車場スペースである。活動が4年目に入って、さまざまな器財が揃ったこともわかるだろう。テントを張って、「キャラバンメイト」と呼んでいる手製の調理台を置き、当日つかうことになった食材などを黒板に描き込んで、提灯ライトを下げる。こうして、カレーを配る準備が整う。すべてが「私」の領域に並べられている。いっぽう、縁石の左側は道路である。それほど頻繁ではないが、クルマの往来もある。スパイスの香りに誘われてやって来た人たちは、「公」の領域に立って、カレーを待っている。

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【2015年4月11日(土)genro & cafe(上井草)】

 

でも、そうじゃない。

そして、カレーを配りはじめると、行列ができる。この日は、カフェで映画『聖者たちの食卓』の上映会を開いたこともあって、長い行列ができた。写真のとおり、列はおののずと道路に伸びてゆく。実際には1時間にも満たないほどのわずかな時間だが、道路は、ちょっとした「広場」になっていた。もちろん、クルマが来れば、みんなで両端に寄って道を譲る。このようすを見て道を通るのを断念し、迂回するクルマもあった。ぼくたちは、「私」の領域の際(きわ)でカレーを配りながら、「公」との境界線を曖昧なものにしたのだ。

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【2015年4月11日(土)genro & cafe(上井草)】

 「もっともらしい」話だ。カレーキャラバンのリーダーである木村亜維子さんがもともと建築を専攻していて、いまは住民参加型のワークショップを学んでいる…などという話が加わると、さらに「それっぽく」なる。つまりカレーキャラバンは、現代社会で見えにくくなった「共」の領域を、一時的に取り戻すための「場づくり」の方法である。

でも、そうじゃない(のかもしれない)。先日の授業で、「共」を取り戻すという話をしたら、すぐさま石川初さんに「まとまりすぎ」と言われた。数日後、『つながるカレー』の編集でお世話になった藪崎今日子さんにもおなじ話をしたら、「なるほど」と頷きながらも「きれいすぎ」と言った。二人とも、さすがだ。少しややこしくなるが、「もっともらしい」説明を模索しながらも、同時に「でも、そうじゃない」と言いつづけることこそが、カレーキャラバンの本質なのだ。

もちろん、人びとが楽しく集う光景は、見ていて気持ちがいい。食べ物がそのきっかけになることも、体験的に知っている。なにより、みんなで食べると美味しい。だから、カレーをつくる。駐車場や公園、店の軒先でカレーをつくるだけで、「同じ地域を共有している者どうしなのに、バラバラだった自分たちに気がつく」こともある。だが、カレーの鍋をかき回しているとき、ぼくたちは「共」の領域を取り戻すなどということは考えていない。というより、その余裕がない。なにより、「もっともらしい」説明をしたとたんに抜け落ちてしまう事柄が、たくさんあるのだ。だから、カレーキャラバンは、つねに「でも、そうじゃない」と言いながら活動を続ける。説明を求められれば、「もっともらしい」話をすることもある。もちろんそれは、こじつけでも、その場しのぎの説明でもない。「何のためにやっているの?」「どういう意味があるの?」という問いかけからはじまるコミュニケーションには、「もっともらしい」話は欠かせない。その説明を考えること自体が、ぼくたちにとって重要なプロセスだ。

そして、「美味そうだね」「それ辛いの?」というひと言ではじまるなら、おそらく、ぼくたちのコミュニケーションはちがった経路をたどる。だからこそ、ぼくたちはことばを丁寧にえらびたいと思う。「よくわからない」と言われることは辛い。「何のためにやっているの?」「どんな意味があるの?」と聞かれると、「もっともらしさ」を求めたくなる。だが、ぼくたちが向き合っているのは、何かのためにあって、(事前に)意味がわかっていることばかりではない。目的がわからないからこそ、旅はつづく。意味は、あらかじめどこかに「ある」のではなく、旅の途中で見つける(見つかる)ものだ。

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*1:加藤文俊・木村健世・木村亜維子(2014)『つながるカレー:コミュニケーションを「味わう」場所をつくる』(フィルムアート社)

*2:往来堂書店 EVERGREEN BOOKS: つながるカレー コミュニケーションを「味わう」場所をつくる -往来堂書店

*3:参考:恩田守雄(2008)『共助の地域づくり:「公共社会学」の視点』(学文社)|恩田守雄(2006)『互助社会論』(世界思想社)

四つ葉のクローバー

2015年4月11日(土)

もう、ずいぶん前に出会っていた。そのことに気づくのに、20年以上かかった。

36回目(番外編を除く)のカレーキャラバンは、上井草(東京都杉並区)へ。「genro & cafe」の軒先をお借りして、カレーをつくることになった。株立(かぶだち)の緑に囲まれた、とても素敵な場所だ。カフェの隣には、ちいさな文具店がある。オーナーの千葉皓史さん(まちづくり上井草 代表)とは、昨年の3月、ねりままちづくりセンターが主催するイベントでご一緒した。株立のあるまち並みや、丸い屋根のカフェは、そのときにスライドで紹介してもらったのだが、行くのは初めてだ。雨のおかげで、緑が引き立つ。

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文具店をのぞくと、スタンプがたくさん並んでいた。アクリルの台がついた、あのスタンプだ。大きな文具店でもよく見かけるので、きっと、どこかで目にしたことがあるはずだ。シールやポストカードなどもある。ぼくも、スタンプをいくつか持っている。(まるでじぶんだけの)落款印のような気分で、手紙やポストカードに絵を添えて送ることができる。季節を感じさせる図柄は、どれもあたたかい。

ぼくは、「あぁ、あれをここでも扱っているのか」と思ったのだが、しみじみとパッケージを見たら「GENRO」と記されている。「ここでも扱っている」のではなく、「ここでつくられている」のだった。あのスタンプは、千葉さんの手によるものだったことを知って、本当に驚いた。20年以上も前に、ぼくは、スタンプを介して千葉さんと出会っていた。いままで、きちんとパッケージを見ていなかったことを反省した。つまり、(少し大げさに言えば)ぼくは「聖地」に来ていたのだ。あのスタンプに、少しでもいとおしさを感じる人は、「聖地」を目指して出かけたほうがいい。「作り手」の顔や佇まいとモノとがむすばれると、とたんに、いままでとちがった風景が広がる。これから、「GENRO」のスタンプを手にするたびに、ぼくは、株立の緑とカフェとカレーキャラバンのことを思い出すだろう。雨が上がって、ときおり陽が差した春の一日が目に浮かぶにちがいない。

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おそらく「GENRO」のスタンプは、3つ4つは持っているはずだ。カレーをつくった翌朝、じぶんの部屋が整理整頓されていないことを悔やみながら、ごそごそと机の引き出しをあさった。よかった、ひとつ見つかった。

発見のよろこびを象徴するかのように、まず出てきたのは、四つ葉のクローバーのスタンプだった。できすぎた話だ。いつ、どこで買ったのかは思い出せない。残りのスタンプもさがして、きちんと箱に入れておこう。そして、あらたにスタンプを追加するときは、大きな文具店ではなく、のんびりと上井草まで出かけることにしよう。カフェでコーヒーを飲みながら、誰かに手紙を書き、買ったばかりのスタンプを押すのだ。