2016年11月5日(土)|バンホフ(茨城県常陸大宮市)
カレーキャラバンの活動は、最初から「いま」のような形としてデザインされていたわけではない。だから、はじめた当初は、60回も続く(続ける)とは思っていなかった。いっぽうで、辞める理由も見つからない。「続けるコツは、辞めないことだ」というK先生の名言を思い出す。ぼくたちの活動も、辞めないから続いているのだ。
これまでに、いくつもの幸運が訪れた。2012年の3月にはじまって、2014年には『つながるカレー』(フィルムアート社)が出て、2015年にはグッドデザイン賞(地域・コミュニティづくり/社会貢献活動)をいただいた。そして2016年は、KENPOKU ART 2016で「出没型食プログラム」(← ぼくたちが提案している呼び方)を実践中だ。
すでに、たびたび書いたりしゃべったりしていることだが、ぼくたちの活動は「決めすぎない」のが特徴だ。あれこれ細かく決めすぎると、それにしばられる。何も決めずにおくと、途方にくれる。その〈あいだ〉で、「決めすぎない」ようにする。なるべくムリをせずに現場であれこれ考えて、一連の「迷い」を愉しむ余裕をもつのだ。そもそも、食材は、その日の朝に市場に行ってみなければ決まらない。道ゆく人の手を借りることもあるが、人数の見込みがあるわけでもない。多くのことがらが、その時・その場で決まる。
現場は一回かぎりの体験だ。「決めすぎない」というより「決められない」ことが多いということだろうか。とはいえ、これまでに、60回の設営と60回の撤収をくり返してきた。そのくり返しをとおして、ぼくたちの感性が開拓されてきたように思える。
朝から晩まで路上で過ごすことになるので、どこにテントを張るか、どこで鍋を炊くかなど、場づくりを多面的に考えるようになった。邪魔にならないように配慮しながらも、道ゆく人との会話が生まれやすそうな位置をさがす。まわりの建物や自然を取り込んだ「カレーのある風景」を想い描くのだ。界隈に暮らす人にとって、まちが、ふだんとはちがった「見え方」になれば、それは愉快なことにちがいない。もちろん、テントの前の行列も、カレーを受け取った人の動きも考える。ぼくたちの仮設キッチンと、階段や縁石、ベンチなどとのつながりも想像する。予想(期待)どおりに、人びとが集うようすを見ると、うれしくなる。
夕方になって、カレーができあがるころになると、人が(どこからともなく)集まってくる。提灯ランプを点して、鍋のフタを開けると湯気が立ち上る。ぼくの大好きな瞬間だ。
この日のカレーは、鍋のなかの食材や地名とは無関係の「カレー No. 60」になった。亜維子さんが準備してきた「60」の文字型のキャンドルに火をつけた。急な思いつきで、ちいさな旗もこしらえて、カレーに添えることにした。これまで、60回分の「カレーのある風景」を3人が見つめ、それぞれの志向や方法で身体に取り込んできた。だから61回目以降も、「決めすぎない」という態度さえあれば、だいじょうぶな気がするのだ。🍛