クローブ犬は考える

The style is myself.

「ゆるさ」があれば(10)

テイクアウトで目覚める

まもなく、9年目が終わろうとしている。事情が事情なのでしかたないのだが、2020年は一度も鍋を囲むことができなかった。オンラインでカレーパーティー(それぞれがカレーを用意して、画面越しにおしゃべりしながらランチを食べる)を開いたこと、そして「100+20人の東京展(2019-2020 South編)」という展示でこれまでに東京でおこなったカレーキャラバンのようすを紹介する機会があったこと(→ カレーキャラバンがめぐった東京 - クローブ犬は考える)。2020年の活動は、このくらいで終わってしまった。この文章を書いているいまも、「緊急事態宣言」が発出されている。春めいてきたので、少しずつでも戻れるように、外に出かけることができるように、前向きに考えたい。

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2020年7月24日(金)|カレーキャラバン オンライン用背景(by リーダー)

家で過ごす時間が長くなって、テイクアウトで食事を調達する機会も増えた。せっかくなので、とくにランチは近所であれこれとテイクアウトメニューを試すようにしている。厳しい状況のなか、いろいろな店が工夫をしながらテイクアウトのあり方を探っているようだ。全般的にはちょっと割高な感じもするが、わずかながらも支援しようという気持ちになっている。

つい最近、「TOKYO MIX CURRY」を試してみた。偶然、店のチラシからウェブにたどり着いたのだが、なかなかよくできている(と思った)。まずスマホに専用のアプリをダウンロードし、そのアプリをつかって注文する(アプリをつかわないと発注できない)。基本はルーとごはんの量、トッピングをえらぶという感じ(あとでウェブの記事を読んだら、「サブウェイ」がヒントになっていると書いてあった)。おすすめの組み合わせもいくつかあるので、それをえらんでから量を調整したりトッピングを加えたり(なくしたり)すればいい。受け取りたい店舗と時刻を指定し、クレジットカードで決済する。そこまで、ムダのない流れだ。
注文してからスマホの画面を眺めていると、少しずつステータス表示が変わっていった。注文が通ったという状態から調理中に変わり、準備ができて受け取り可能という表示に。(実際にはそのようすを確認することはできないわけだが)あらかじめ指定した時刻に合わせて調理が開始され、できたて受け取ることができるという感覚が、画面をとおして伝わってくる。

指定した時刻に店についた。店といっても、ランチタイムの数時間だけ「間借り」をしている店舗だ。表には「TOKYO MIX CURRY」の看板が立っている。夜は鉄板焼きの店(ワインバー)だが、昼間はテイクアウトとデリバリー専門のカレーの店になるというわけだ。店に入ると、ぼくが注文したカレーをちょうど包んでいるところだった。この「間借り」は、入り口のわずかなスペースとテーブル、イスくらいのもので、厨房をつかっているわけではなかった。加熱・保温用のヒーターの上に寸胴がのっていて、傍らにはトッピングの具材が入った容器が並んでいる(まさに「サブウェイ」っぽい感じ)。注文はすべてアプリ経由で届くので、そのオーダー(カスタマイズ)どおりにテイクアウト用の容器によそって、客が来るのを待つという流れだ。

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取材をしたわけではないので、勝手な理解で書いているが、おそらくは調理は別のキッチンでおこなわれていて、現場ではそれを加熱して注文に応じて盛り付ける。キッチンカーと同じような感じだ。キッチンカーにかかわる手続きや、維持・管理、駐車スペースの確保などを考えれば、この「間借り」のやり方はスマートだ。買うほうも、列に並んで待つこともない。
受け取るさいには食べ方の説明があって、割引のクーポンを渡された。初めてだったので「たっぷりお野菜」をちょっとだけアレンジして注文した。思っていたよりボリュームがあって、美味しかった。屋号どおり「ミックス」して食べるカレーなので、トッピングの組み合わせを考えたり、家にあるスパイスで「味変(あじへん)」したり、いろいろな楽しみ方がありそうだ。

テイクアウトのスタイルとして、なかなかよく設計されていると関心しつつ、それよりも、「間借り」のスペースで寸胴からカレーをよそっている光景を見て、懐かしさがこみ上げてきた。まちなかに仮設のキッチンをつくって、カレーをつくる。これこそ「カレーキャラバン」のはじまりだったのだ。9年前のあの日、墨田区の空き店舗で鍋を炊いた。その情景が思い出されて、目覚めた。2019年の9月に軽井沢でカレーをつくってから、「旅」の器財は箱にしまったままだ。

旅は道づれ

たんにテイクアウトのお試しくらいの気持ちだったが、「TOKYO MIX CURRY」の体験で、ムズムズと何かが覚醒するようだった。もちろん、さすがに「フルバージョン」を再開することはできない。
「カレーキャラバン」の楽しみは、クルマに道具を載せるところからはじまる。ドライブして(ときには数百キロ)、逗留地に着いたら荷物を降ろして設営し、買い出しに行く。まちかどで調理をしていると人が近づいてくる。一緒におしゃべりをしながら野菜を刻み、鍋を囲んでまったりと過ごす。カレーができる頃には、さらに人が集まってきて、みんなに配って食べながら日が暮れる。撤収して、あれこれとクルマで話しながら帰る。この一連の流れが、やめずに(やめる理由が見つからずに)続けてきた「フルバージョン」だ。
あらためてふり返ると、「カレーキャラバン」は「密」な関係を前提に成り立ってきた。というより、スパイスの力を借りて、「疎」だったところを「密」に変える活動だといえるかもしれない。いまの状況で、できることは何か。それを考えることは、「カレーキャラバン」の本質をとらえなおすことにつながるはずだ。

まず、「カレーキャラバン」が面白いのは、仮設であることと無縁ではない。これまでの80回をこえる「旅」は、まさに「間借り」体験の積み重ねだった。駐車場、広場、公園、店の軒先など、いろいろな場所を借りてカレーをつくった。それぞれの場所でのエピソードが、いくつも記憶に残っている。くり返しているうちに、設営と撤収にも慣れてきた。上手に片づければ、さほど負担を感じることなく次につながることもわかった。つまり、「間借り」を前提とする活動に求められるのはモビリティ(移動性)なのだ。そのために、道具を厳選したり現地調達したり、いろいろな工夫もできるようになった。

もうひとつ、ぼくたちの活動を成り立たせているのは、分け合う姿勢だ。大きな鍋でつくったカレーを、大勢で分け合う。一つの鍋をみんなで囲んで、(スパイスの香りがする)同じ空気を吸い込み、同じ地面に立つ。つまりそれは、一緒に過ごすための場所を分け合うことだといえる。もちろん同じ場所に「いる」ことは、時間を共にするということだ。

では、どのようにして「カレーキャラバン」の活動を再開すればよいのだろうか。具体的に考えるときに思い浮かぶのは、「一緒に鍋を囲むのは誰か」という問いだ。これまでは、行きずりの人もふくめ、誰でもカレーづくりに加わることができるようなやり方をつくってきた。準備だけ手伝って、カレーができあがる頃にいなくなる人もいれば、逆に、カレーを配るタイミングでいきなり現れる人もいた。出入りは自由、いちいち挨拶することも、名前を聞くことさえない。そんな関係で、一つの鍋を囲んでいた。

f:id:who-me:20190914152803j:plain2019年9月14日(土)|カレーキャラバン(軽井沢編)

いまでこそCOVID-19の騒ぎで動きが制限されているが、そもそも「カレーキャラバン」は共同で調理するという活動なので、気を遣うべきことは多い。リーダーもぼくも「食品衛生責任者」の講習を受けて、食中毒やアレルギーのことについて勉強した。手伝ってくれる人には、手指の消毒をお願いする。いろいろなことに注意しながら、調理にはじまって食べるところまで、みんなが「道づれ」になるのが基本だ。もちろん、何かあったときに備えて、参加者に誓約書を書いてもらうわけではない。「自己責任」ということばで対応するつもりもない。
この騒ぎが落ち着いたら、カレーをつくろう。まずは、ごく身近なところから。〈甘える=甘えられる〉〈許す=許される〉関係が成り立つ(少なくとも、そう思わせる)くらいの「近い」ところから。
黙ってカレーをつくり、黙って食べる。それでもよいはずだ。まずは、もう一度「旅」を実感すること、そして時間と場所を分け合う姿勢を整えることだ。