クローブ犬は考える

The style is myself.

in KENPOKU 06: 土からありがと根カレー

2016年11月19日(土)|梅津会館(茨城県常陸太田市)

そして、ついに6か所目。11月19日(土)は、常陸太田市の梅津会館の前にテントを張った。あいにくの空模様だったが、カレーを配る頃には雨が上がり、たくさんの人が集まった。
あらためてふり返ってみると、KENPOKU ART 2016(茨城県北芸術祭)でのカレーづくりは、とにかく忙しかった。およそ2か月という会期中に6か所。すでにこの期間中に行くことが決まっていた分をくわえると、8か所。ふだんは月に1回が基本だったので、体験したことのないペースですすんだことになる。2日連続(11月5日・6日)というのも、いままでになかった。「関西ロード」と称して、いわば「夏休み」気分で、数日間の遠出をしたことはあったが、今回は、ほぼ毎週末、茨城に向かってクルマを走らせていた。日常のなかに、カレーキャラバンが組み込まれたような感覚だ。だから、この2か月間は、テントやテーブルをはじめ、カレーづくりの器財をクルマに積んだままだった。

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(予想していたとおり)「作品」を観る機会は、ほとんどなかった。前にも書いたはずだが、ぼくたちは、アーティストでもスタッフでもない立場で芸術祭にかかわった。もちろん、ケータリングのサービスでもない。あたらしいやり方で、芸術祭に参加していたのだと思う。そして、あたらしい方法であるからこそ、その体験は格別なのだ。それほど告知はしなかったのだが、芸術祭のいちプログラム(出没型食プログラム)として位置づけられていたこともあって、なかには(アート作品ではなく)カレーに興味をもって、訪ねてくれる人もいた。それぞれの市町では、事前の連絡や調整が行き届いていたので、たくさんの人が、手伝う準備をしてぼくたちを待っていてくれた。行く先々で出会いに恵まれ、一緒にわいわいとおしゃべりをしながら手を動かした。

なかには、この2か月のあいだに、何度もカレーキャラバンを「追っかけ」てくれた人もいた。いつもは、北へ南へと分散気味だが、今回は6か所とも同じ県内だったからだろうか。多少の移動はあるものの、県内のあちこちに出没するというやり方のおかげで、「追っかけ」やすかったのだろう。名刺交換などはめったにしないが、再会をくり返していれば、お互いに顔を覚える。少しずつ、距離が縮まってゆく。

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 近年、各地でさまざまなアートプロジェクトがおこなわれているが、評価の際には会期中の来場者数がたびたび話題になる。「県外」からどれだけ人を呼べるか。いわゆる「交流人口」を増やすことが、目標として掲げられる。だが、「来場者数」も「交流人口」も、たんなる量的な手がかりでしかない。誰が、どのように「作品」に触れ、誰とことばを交わしたのか。それは、どのような体験だったのか。数値には表れることのない「交流」の質をきちんと理解することが重要だ。そして、もっと大切なのは、芸術祭が終わった後のこと、これからのことだ。

たびたび訪れてくれた人(つまり「リピーター」)の姿を想い浮かべると、じつは、「県内」での動きも、それなりに活発だったように感じられた。もちろん「県外」からの来場者も大事だが、「県内」の人びとが、家族や友だちと一緒に、何度か展示を巡っていたのなら、それはとても素敵なことだ。今回のような芸術祭をとおして、記憶に残る体験を少しずつ身体に刻んでゆけば、きっと「アート」と向き合う態度も変わるだろう。そもそも、唯一の「見方」があるわけではないのだから、まずは「すごかったね」「なんだか、よくわからないね」といった素朴な感想を、家族や友だちと交わすことに意味がある。「アート」がきっかけとなって、コミュニケーションが生まれる。

カレーキャラバンも、ちょっとした「話の種」になっていただろうか。毎回90皿ほどは配っていたので、6か所で500皿以上は食べてもらうことができた。そのなかには、「リピーター」もたくさんいる。慌ただしい2か月だったが、ぼくたちがつくっていたのはカレー(だけ)ではなかったのだ。KENPOKU ART 2016をとおして、大切な「なかま」ができた。きっとまた、どこかのまちで会えるはずだ。🍛
◉ビデオ|撮影・編集:大橋香奈

in KENPOKU 05: レインボウ☆トリゴボウ☆明日へのキボウカレー

2016年11月6日(日)|虹のひろば(茨城県高萩市)

無事に、60回目のカレーづくりを終えた翌日。県北では5回目。よく晴れてはいたものの、冷たい風のなか、高萩駅前にある「虹のひろば」にテントを張った。

KENPOKU ART 2016(茨城県北芸術祭)でのプログラムのために、毎週のように茨城に足をはこび、すでに5回目なのに、じつは「芸術祭」のほうは、ほとんど観ていない。初回の常陸多賀でのカレーづくりは、ちょうど展示会場の目の前だったので、作品を目にすることができたが、たんに展示されているのを「見た」という程度で、ゆっくりと作品を鑑賞することはできなかった。もちろん、KENPOKUに行く理由がちがうからだ。ぼくたちは、ちがう目的で出かけている。

このことは、よく木村さんたちと話題になる。今回のKENPOKUにかぎらず、全国各地を回っているなかで、いわゆる「観光名所」と呼ばれるような場所に行くことはほとんどない。たとえば鳥取に行ったときには、砂丘に出かけることさえしなかった。もちろん、〈鳥取=砂丘〉ではないのだが、それでも、せっかくだから行っておきたいという気持ちにはなる。ほんの少しでも時間をやりくりすれば、「観光」もできるように思える。いっぽう、食材を買うために、道の駅や産直の店、地元のスーパーにはかならず出かける。果物や野菜の値段のこと、特産品やおみやげ、そして買いものに来ている人びとの活力にじかに触れることができるので、まちのことがわかってくる。「食」に近づくと、人びとの生活を身体で感じることができる。食材を手に入れたら、あとは、日が暮れるまで(カレーの鍋が空になるまで)ずっとテントの下で過ごす。

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カレーキャラバンの活動は、「留まる」ことによって成り立っている。つまり、ガイドブックを片手にまちを歩き、「観光名所」を巡るのとはちがう。ぼくたちは移動することなく、じっと待っているのだ。そして、待っている時間は、退屈でも苦痛でもない。野菜を刻んだり、肉を煮込んだり、やるべきことはたくさんある。そして、「留まる」からこそ見えてくる風景があることに、あらためて気づく。ぼくたちは、まるで定点観測のカメラ(あるいは監視カメラ?)のように、テントのなかから、まちの移ろいを観察することができるのだ。これは、ちょっと特別な「立ち位置」なのだと思う。移動しないことによって、ぼくたち以外のモノやことの移動や変化が見えるようになる。あたりまえのことのようだが、気づいたとたんに、カレーづくりがさらに面白くなった。

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ぼくたちは、数年間、この「留まる」やり方を続けてきた。木村さんは、これを「あたらしい旅」のスタイルだと言った。たしかに、そうだ。ぼくたちは、ふだん旅に出かけると、できるだけさまざまな場所(名所旧跡の類い)を訪れ、老舗や名店に出かけて食事をして、おみやげを買って帰ろうとする。ぼくたちの「あたらしい旅」は、いちど場所を決めたら、ずっとそこに「留まる」というものだ。幸いなことに、この方法で時間を過ごしていると、いつでもたくさんの人に出会うことができる。鍋から立ち上るスパイスの香りのおかげで、気負うことなく会話がはじまる。

ガイドブックを片手に旅をするとき、ぼくたちは、いったい何人の人とことばを交わすことができるだろうか。移動することで成り立つ旅は、もしかすると、ガイドブックに載っている内容を、現地で「確認」しているだけなのかもしれない。ずいぶん地味に見えるかもしれないが、「あたらしい旅」には、思いがけない出会いも、他愛のないやりとりもある。そして、再会の約束もある。🍛

 

◉ビデオ|撮影・編集:國吉萌乃

in KENPOKU 04: カレー No. 60

2016年11月5日(土)|バンホフ(茨城県常陸大宮市)

記念すべき60回目は、KENPOKU ART 2016(茨城県北芸術祭)の会期中にやってきた。(3か月ほどの「充電期間」を経て)ここ数週間は、かなりのハイペースですすめているが、県北では4回目。朝から晴れて、暖かい日になった。買いものを済ませてからコミュニティカフェ「バンホフ」へ向かい、店の前にテントを張った。

カレーキャラバンの活動は、最初から「いま」のような形としてデザインされていたわけではない。だから、はじめた当初は、60回も続く(続ける)とは思っていなかった。いっぽうで、辞める理由も見つからない。「続けるコツは、辞めないことだ」というK先生の名言を思い出す。ぼくたちの活動も、辞めないから続いているのだ。
これまでに、いくつもの幸運が訪れた。2012年の3月にはじまって、2014年には『つながるカレー』(フィルムアート社)が出て、2015年にはグッドデザイン賞(地域・コミュニティづくり/社会貢献活動)をいただいた。そして2016年は、KENPOKU ART 2016で「出没型食プログラム」(← ぼくたちが提案している呼び方)を実践中だ。

すでに、たびたび書いたりしゃべったりしていることだが、ぼくたちの活動は「決めすぎない」のが特徴だ。あれこれ細かく決めすぎると、それにしばられる。何も決めずにおくと、途方にくれる。その〈あいだ〉で、「決めすぎない」ようにする。なるべくムリをせずに現場であれこれ考えて、一連の「迷い」を愉しむ余裕をもつのだ。そもそも、食材は、その日の朝に市場に行ってみなければ決まらない。道ゆく人の手を借りることもあるが、人数の見込みがあるわけでもない。多くのことがらが、その時・その場で決まる。

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現場は一回かぎりの体験だ。「決めすぎない」というより「決められない」ことが多いということだろうか。とはいえ、これまでに、60回の設営と60回の撤収をくり返してきた。そのくり返しをとおして、ぼくたちの感性が開拓されてきたように思える。

朝から晩まで路上で過ごすことになるので、どこにテントを張るか、どこで鍋を炊くかなど、場づくりを多面的に考えるようになった。邪魔にならないように配慮しながらも、道ゆく人との会話が生まれやすそうな位置をさがす。まわりの建物や自然を取り込んだ「カレーのある風景」を想い描くのだ。界隈に暮らす人にとって、まちが、ふだんとはちがった「見え方」になれば、それは愉快なことにちがいない。もちろん、テントの前の行列も、カレーを受け取った人の動きも考える。ぼくたちの仮設キッチンと、階段や縁石、ベンチなどとのつながりも想像する。予想(期待)どおりに、人びとが集うようすを見ると、うれしくなる。

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夕方になって、カレーができあがるころになると、人が(どこからともなく)集まってくる。提灯ランプを点して、鍋のフタを開けると湯気が立ち上る。ぼくの大好きな瞬間だ。

この日のカレーは、鍋のなかの食材や地名とは無関係の「カレー No. 60」になった。亜維子さんが準備してきた「60」の文字型のキャンドルに火をつけた。急な思いつきで、ちいさな旗もこしらえて、カレーに添えることにした。これまで、60回分の「カレーのある風景」を3人が見つめ、それぞれの志向や方法で身体に取り込んできた。だから61回目以降も、「決めすぎない」という態度さえあれば、だいじょうぶな気がするのだ。🍛

 
◉ビデオ|撮影・編集 橋本彩香

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in KENPOKU 03: 丘あんこうカレー

2016年10月29日(土)|旧富士ケ丘小学校(茨城県北茨城市)

KENPOKU ART 2016の会期中に、6つの市町をめぐることになっている。常陸多賀、大子につづく3か所目は北茨城へ。朝から、きれいに晴れた。片道180kmほどのドライブなので、運転しながら、アートプロジェクトについてあれこれと考える。そもそも、カレーキャラバンの活動もアートプロジェクトから生まれたのだ。
近年、全国各地でアートプロジェクトがおこなわれるようになった。規模や内容はざまざまだが、運営する際の組織づくりはもちろんのこと、ウェブをはじめとする媒体のあり方にいたるまで、アートプロジェクトを実践するための方法や態度を模索する試みもたくさんある。

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 そんななか、カレーキャラバンは、従来の「ひな形」には収まらないように、ささやかな抵抗を試みているのかもしれない。アーティストではないし、ボランティアスタッフでもない。ケータリングの業者でもない。ことなる立場や責任を「踏み越える」ことにこそ、関心があるのだ。いま、KENPOKU ART 2016では「イベント」というラベルのもとで活動しているが、おそらく、ぼくたちが志向するのは「ハプニング」と呼ぶべきものだ。予定調和的に進行する「イベント」ではなく、(ぼくたちの活動の)〈場面(シーン)〉を切り替える役割を果たすのが、「ハプニング」である。

好天にめぐまれたこともあってか、作品の鑑賞に訪れるクルマが頻繁に出入りしていた。とはいえ、界隈の人が鍋のそばを通りがかるというような場所ではないため、カレーづくりについては圧倒的に手が足りなかった。そんなとき、ふだんは「茨城県」と書かれた名刺を持って仕事をしているふたりが、事もなげに立場を「踏み越え」て、ぼくたちに手を貸してくれた。タマネギを刻んだり、あん肝をつぶしたりしている姿を見ていると、なんだか力が湧いてきた。SNSを介してぼくたちの活動を知り、手伝いに来てくれた人もいた。旧富士ケ丘小学校を担当しているスタッフのみなさんも、たくさん手伝ってくれた。さらに、ロフトワークの「円卓チーム」も。ぼくたちは、まさに「ハプニング」の連なりのなかにいたのだ。

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じつは、ことなる立場や責任を「踏み越える」などという大げさな話ではないのかもしれない。きっと、ぼくたちの頼りない手つきを見れば、誰もが手を貸そうという気になるだけのことだ。だが、さまざまなかかわりのなかで、その日かぎりのカレーづくりが実現する。だから、いつでもその現場に立ち会うことができるのは、ぼくたちの特権なのかもしれない。

それにしても、北茨城の風は冷たかった。10月も終わろうとしているのだから、あたりまえのことか。たびたび県北に通いながら、秋から冬へ、確実に時間が流れていることを実感している。🍛
 
◉ビデオ|撮影・編集 Lisa Yabora

按配

2016年10月13日(木)

カレーをつくっているあいだ、木村さんは、「ここって公園なんだな」と何度か口にしていた。この日、ぼくたちはSHIBAURA HOUSE(東京都港区)でカレーをつくった。開放感のある空間に、テントを張る。天井が高く、大きなガラスをとおして外の光をふんだんに浴びることができるので、いつものように、まちかどに居場所をつくるのと、さほど変わらないように思えた。
きっと、何のための空間なのか、よく知らずに前を通っている人もたくさんいるにちがいない。SHIBAURA HOUSEは、「株式会社 広告製版社」の社屋である。ユニークなのは、多くのオフィスだと(規模にもよるが)、受付やロビー、商談・打ち合わせ用の机とテーブルが並んでいるはずの空間が、まちに開かれているということだ。大きなテーブルやイス、コーヒーサーバー、子ども用のおもちゃも置いてある。書棚には本が並ぶ。1階だけでなく、2階も「フリースペース」になっているそうだ。

お昼どきになると、おべんとう(が入っていると思われる袋)を提げて、人がやって来る。「いつもの席」があるのだろうか。まるで、じぶんの勤務先のビルであるかのように、慣れたしぐさで2階に向かう人もいる。「ママ友」たちの憩いの場にもなっているようだ。ノートPCに向かう人も、本を広げて何かの勉強に勤しんでいる姿も。多くの人が、それぞれのスタイルで、この空間をのびのびと使っている。

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【2016年10月13日(木)|SHIBAURA HOUSE(通算57回目のカレーづくり)】


だいぶ雰囲気はちがうが、ちょうど去年のいまごろ、千葉県の館山市でカレーをつくったときのことを思い出した。館山では、「金八商店」の脇にある空き地にテントを張った(そのときのようすについては、「ゆるさ」があれば(4)にまとめた)。空き地であるとはいえ、「金八商店」の鳥山さんの手によって、近所の人びとに開放するために整えられた空き地だった。だから、形式的には「私有地」のはずなのに、気軽に入ったり出たりできる場所として、みんなに利用されているようだった。さらに、鳥山さんの遊び心とサービス精神のおかげで、空き地は、ぼくたちのカレーづくりに理想的な場所に変わった。
SHIBAURA HOUSEも、いち企業の社屋なのだから、形式的には「私(プライベート)」の領域だということになる。それでも、伊東社長の大らかな考えのもと、界隈の人びとが出会い、集う場所として「フリースペース」がデザインされている。「ここって公園なんだな」という木村さんのひと言は、その本質をとらえていたということになる。

朝から晩まで、人の動きを眺めながら過ごした。カレーの準備をしていると、この「フリースペース」も、そしてガラスの向こうの通りやまち並みも見渡すことができた。あたりまえのことだが、昼間は「内」も「外」も明るいので、まさに公園や広場のような感覚で過ごすことができる。道ゆく人びとからは、カレーをつくっているようすが「丸見え」だったはずだ。のんびりと鍋をかき回しているぼくたちの姿は、どのように見えていたのだろうか。いっぽう、ぼくたちの側からは、急ぎ足で駅とのあいだを行き来する人びとの姿が見えた。「外」と「内」では、ちがうスピードで時間が流れているような感じがした。夜になると、少しだけ「外」は見えづらくなり、「内」にいるぼくたちは、ますます「丸見え」になっていった。

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【2016年10月13日(木)|SHIBAURA HOUSE】

 

このスペースは、つねに「丸見え」で、(決められた時間帯は)開放されているのだが、「内」へと一歩すすむのには、ちょっとした勇気が必要なのかもしれない。「公園」のようでありながら、じつはガラスの扉を開けなければならないからだ。もちろん、いちどでも「内」に入る体験をすれば、そのあとは気軽に出入りできるようになって、やがては「常連」になるだろう。ちょっとした勇気がなければ、お互いの姿が見えていても、「外」と「内」は透明なガラスに隔てられたままになる。
いっぽう、あまりにも大勢の人が「内」に入ってきたら、「フリースペース」は騒々しくなる。穏やかに過ごしたくてこの場所をえらんでいる人にとっては、迷惑な話だ。気軽に出入りしてほしいが、「敷居が低い(低すぎる)」のも困る。誰かに教えたいような気持ちもあるし、じぶんだけの場所として黙っておこうかとも思う。この按配がむずかしい。

ガラスの「外」からは、周囲に不似合いな面々が鍋をかき回しているようすが見えていたはずだ。ずっと扉を開けてカレーをつくっていたので、スパイスの香りが「外」と「内」の「あいだ」をただよった。数はわずかだったかもしれないが、スパイスの香りに誘われて、初めて「内」に入ったという人がいた。ちょっとしたきっかけがあれば、「外」と「内」を分けているガラスは、すぐに見えなくなるのだ。按配しだいで、場所は変わる。