クローブ犬は考える

The style is myself.

「ゆるさ」があれば(7)

芋煮に学ぶ

秋の訪れとともに動きが活発になり、こんどは、山形に出かけることになった。秋の山形といえば、芋煮である。今回は、まさにそのタイミングに合わせて、企画されたのだ。サードシーズン4回目(通算67回目)。山形の芋煮については、これまでに、いろいろな記事を読んだことがある。巨大な鍋をクレーンでかき混ぜるという場面は、たびたびニュースの映像などでも見かけるものだ。『玄米せんせいの弁当箱』という漫画のなかには、芋煮のレシピをめぐる「バトル」のようすが描かれている。いろいろと盛り上がっていることは多少なりとも知っていたものの、その現場に行くのは初めてだ。

f:id:who-me:20210224233334j:plain芋煮味。じゃがいもの味だ!

 今回は、おもに五十嵐さん(2月に盛岡で実施したカレーキャラバンで知り合った)とやりとりしながら準備をすすめた。どうやら敬老の日あたりが「解禁」の合図となって、そのあと、外にいても寒くない程度の頃合いまでが、芋煮のシーズンらしい。実際には、2か月足らずだろうか。シーズン中は、河川敷などで芋煮を楽しむのだという。今回は、その芋煮の集まりに紛れてカレーをつくるという趣向だ。

場所の候補となったのは、馬見ヶ崎川の河川敷。これまでに、全国のあちこちを巡りながら、60数回の旅を続けてきたが、河川敷でカレーをつくったことはなかった。残念ながら、河川敷についてはあまり好ましいイメージを持てずにいた。山奥に出かけて渓流のそばでキャンプをするならともかく、街なかの河川敷から思い浮かぶのは、あれこれと「禁止」する立て看板だ。まずなにより、そもそも河川敷で火を使うことは禁じられていることが多い。川が行政区域の境界になっている場合には、川の「こちら」と「あちら」で決まり事がちがっていることもある。たとえばバーベキューのシーズンになると、あっという間にゴミで汚れてしまう。酔って騒いで、界隈に暮らす住民からは苦情が出る。河川敷だけではない。近所のコンビニのゴミ箱までもが、宴の残骸であふれる。
その結果として、「バーベキューのための場所」が整備されることもある。決められた区画で、いくつものルールに従いながらバーベキューがおこなわれる。のびやかなはずの「外」での活動が制限され、形式ばったものになってしまう。だから、「河川敷でやりましょう」と言われたときには、なんとなく窮屈そうなイメージしか頭に浮かんでこなかったのだ。

ぼくたちは、前日の晩に、買い出しをしておくことにした。地元のスーパーに行くと、店内には「芋煮コーナー」があった。里芋はもちろん、ネギ、こんにゃくなどがすぐそばに置かれていて、うどんやカレーのルー(どうやら「シメ」にカレーを入れるやり方もあるらしい)、ビールやおつまみの類いまで並べてある。必要なものは、この「コーナー」でひととおり揃うようだ。ぼくたちは、あくまでもカレーキャラバンなので、カレーのための食材を買った(もちろん、そのなかに里芋はふくまれているが)。

なにより驚いたのは、そのスーパーの駐車場の傍らにも「芋煮コーナー」があったことだ。店内は食材だが、こっちは芋煮用器財の貸し出しだ。ラックの上には、鍋や基本的な調理器具、さらにはゴザまで置かれている。これらの器財が無料で貸し出されているのだ。しかも、借りるのにいちいち名前や連絡先を書くような手続きはない(ように見えた)。そもそも、「見張り」の人がいないのだ。すぐに「見張り」のことを考えたり、返却されるのかどうか心配したりすること自体が、ぼくの了見のせまさというか、想像力の乏しさなのかもしれない。
借りたら返すのはあたりまえだ。つぎに使う人のことを考えるなら、きれいに洗っておこうと思う。芋煮への愛があればこそだ。食材も調理器具も、気軽に調達できるようになっている。スーパーに行っただけでも、芋煮への想いの強さが伝わってくる。ぼくたちは、一つひとつに驚いて声をあげたり写真を撮ったりしていたが、山形の人びとにとっては、ごく「あたりまえ」なことなのだろう。いちいち騒いだりしないはずだ。

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直火の威力

そして、翌朝。予報どおり、雨が降っていた。じつは前日に「場所取り」のつもりで橋の下の一角に貼り紙をしておいた。橋の下なら、雨でもなんとかなるからだ。河川敷に向かっている途中で、五十嵐さんから連絡があった。すでに、ぼくたちの貼り紙の前にブルーシートが広げられているとのこと。メッセージとともに送られてきた写真を見ると、かなりの大所帯のようだ。貼り紙の効力はさほどなかったようだが、大きなブルーシートのご一行のすぐそばにテントを張って、カレーをつくればいい。そう思いながら到着し、クルマから荷物を下ろした。

厚い雲が空をおおっているものの、雨が上がったので、なんとかなるだろうという想いで、橋の下ではなく空の下に場所をつくることにした(大所帯のグループのすぐ近くだと、やりづらい感じもした)。また降りはじめるかもしれないが、空の下は、やはり開放感がある。ぼくたちは、水場のそばにテントを張った。河川敷は、驚くほどきれいだった。ゴミは落ちていない。騒々しく、あれこれと「禁止」を告げる立て看板も見当たらない。
先ほど書いたような、河川敷のイメージはことごとく塗り替えられることになった。河川敷には、コンクリートの丸い台がところどろに敷設されている。決して大げさな話ではなく、文字どおり芋煮のための「舞台装置」だ。七輪(炭火)やガスバーナーなどではなく、直火で鍋を炊くのだ。

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すぐ隣りの「舞台」では、五十嵐さんの友人たちが、芋煮の準備をはじめていた。河原からいくつか大きめの石を拾ってきて、かまどをつくって鍋をのせる。そして、薪に火をつける。コンクリートが敷かれているのは、そのためだ。鍋を火にかけるやり方としては、一番「正統」なのではないだろうか。つまりこの河川敷は、芋煮用に整備されているのだ。薪は勢いよく燃えはじめ、鍋から湯気が立ち上った。なんだか、カセットコンロを使っているのが恥ずかしいような気分にさえなる。
そして水道は、もちろん水栓がついている。ぼくたちが、街なかの公園で出会った「あの水道」ではない(くわしくは「ゆるさがあれば(5)」を参照)。コンクリートの「舞台」があるくらいなので、もちろん水は自由に使える。そういえば、昨日のスーパーでは、食材のみならず薪やゴミ袋までもが入った「セット」販売のチラシもあった。ことごとく、まちは「芋煮フレンドリー」なのだ。それは、すばらしい「ゆるさ」だと理解することもできる。一人ひとりが、芋煮を愉しみたい。その「自由」への想いが束ねられると、モノを揃えたり、貸し借りしたり、ゴミを拾ったり、一連のふるまいまでもが整えられて、持続可能なかたちに研がれてゆく。きちんとしているからこそ、「ゆるさ」を保つことができる。というより、「ゆるさ」を守るためには、(きちんとすべきところを)きちんとしなければ、あっという間に無秩序へと向かうのだ。ゴミだらけの河川敷になってしまうということだ。

「外」で愉しむことのできる時期がかぎられているからだろうか。もちろん、里芋の旬の時季もある。一年のうちの大切な「シーズン」のために、準備も片づけも怠らない。「禁止事項」を定めれば、それを守ること(そして守られなかったときにペナルティーを科すこと)を考えがちになる。結局のところは、じぶんたちで決めた「禁止事項」にしばられて、どんどん窮屈になる。「ルール」という考えそのものを、あっけらかんと乗り越えて、芋煮は、もはや「文化」となって、まちにとけ込んでいるのだろう。

そして、この芋煮の「文化」を支えているひとつの原動力は、レシピの多様性にあるのかもしれない。山形に暮らす知人は、ふだん芋煮をつくるときには、何種類か用意するらしい。職場には、出身地のちがう同僚がいるからだという。どこまで気を遣うかはともかく、いくつもの味つけ(レシピ)を尊重する。その上で、芋煮の「正しさ」や「正統性」について語らう。SNSでは「#芋煮戦争」というハッシュタグさえあるほどで、レシピをめぐる「バトル」は続いてゆくにちがいない。だが、シーズンがくるたびに、「正しさ」について語るからこそ、コミュニケーションは絶えることがないのだ。そもそも「火種」がなければ、鍋は熱くならない。

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「イモニジャナクテ カレー」が、できた! #カレーキャラバン #サードシーズン #currycaravan

途中で雨がぱらつくことはあったが、大きなトラブルもなく「イモニジャナクテ カレー」ができあがった。里芋入りとはいえ、芋煮じゃなくて、カレーをつくっていたので(しかもカセットコンロで)、なんだかちょっと肩身がせまいような気分になった。終始、芋煮の「文化」に驚き、感心しながら過ごした。カレーキャラバンが大いに共感し、さらに極めるべき「ゆるさ」について考える機会になった。
とにかく楽しかった。この先も、器財を携えて旅を続けると思うが、このように「きちんとしたゆるさ」がある場所に出会うことができれば、ぼくたちは、いつも以上にいきいきと過ごすことができるはずだ。そのような「キャラバンフレンドリー」な場所は、この河川敷のほかにも、きっとたくさんあるにちがいない。あまりにも楽しすぎて、このあと、ぼくも亜維子さんも、しばらくのあいだは「芋煮ロス」に苛まれながら過ごした。🍲

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171007_カレーキャラバン(山形編)

「ゆるさ」があれば(6)

サードシーズンのはじまり

カレーキャラバンは、ついに6年目。もともと、いつまで続けるのかを考えずにはじめた活動なのだが、このままずっと続くかもしれないし、不意に終わりになるかもしれない。この文章を書いている時点で、すでに66か所でカレーをつくった。やや波はあるものの、ほぼ月に1回のペースでいまなお続いている。これほどまでに生活の一部になってくると、当然のことながら、いろいろな出来事に遭遇する。毎日の生活(つまり、生きること)は、ハプニングの連続だからだ。
そしてぼくたちは、その一つひとつを乗り越えようとする。すでに別の記事でも書いたとおり、この5年間でモノや器財が増えた。思えば、スパイスケースや寸胴にはじまって、テーブル、テント、提灯ランプ、さらには簡易式のモバイルキッチンを自作するところまで、だんだんと大がかりになった。もちろん、器財が増えることで、活動が充実するように感じられることもたしかだ。

だが、6年目がはじまって、あらためてフットワークの大切さについて考えるようになった。やはり、カレーキャラバンの面白さは「旅」にある。上手に荷造りをして、同じ場所に長居することなく次々と現場を巡る。そのためには身軽でいること、さらに現地調達の可能性を考えておくことも重要だ。設営や撤収に余計な時間やエネルギーを奪われないようにしながら、あたらしい出会いのためにできるだけ感性を解放しておくのだ。

いくつもの場所を訪れるからこそ、出会いがある。幸いなことに、これまでの活動をとおして、「カレーキャラバンの仲間」ができた。野菜を刻んだり、鍋をかき回したり(あるいは食べるだけだったり)、カレーキャラバンという〈場所〉を一緒につくってくれる「仲間」だ。ときには、予期せぬ形で遠方まで来てくれる。とくに、昨秋かかわる機会のあった「KENPOKU ART 2016」では、毎週末というほどのハイペースだったこともあってか、強くて濃いつながりが育まれたように思う。

7月は、西千葉にある「HELLO GARDEN」でカレーをつくる予定になっていた。その前日、茨城の滝さんが東京にいるとのことだったので、さっそく「仲間」に声をかけてみた。昨秋の「同窓会」だと考えることもできるし、翌日のカレーづくりの「前夜祭」だと位置づけることもできる。銀座の「カイバル」で、カレーを食べることにした。ひさしぶりに会って7名でテーブルを囲み、あれこれとカレーキャラバンの話で盛り上がる。順番にはこばれてくる料理にいちいち声をあげ、スマホで写真を撮る。たくさん笑いながら、楽しい時間を過ごした。

f:id:who-me:20210224234128j:plain【2017年7月15日(土)西千葉でのカレーキャラバンの前夜。「カイバル」で「仲間」たちとカレーを食べた。

よくよく考えると、この「仲間」どうし、お互いに知らないことがたくさんある。もちろん、カレーキャラバンの現場では何度か一緒に過ごしているので、「あの時はこんなことがあった」「あんな人がいた」などと共通の話題にはこと欠かない。あっという間に時間が過ぎて、お開きになった。「じゃあまた明日」と言って別れたあと、Yoshieさんときみこさんが、じつは初対面だったということに気づいた。二人とも、国立でカレーをつくったときに来ていたので、てっきり面識があると思っていた。カレーを食べてさんざんしゃべり、帰りの地下鉄に乗るまで、違和感をおぼえることなく、ごく自然に過ごしていた。国立では、2回カレーをつくったので、それぞれ別のときにカレーキャラバンに来ていただけで、一緒ではなかったのだ。ぼくは(そして、みんなも)、すでに二人は国立で会っているものだと思い込んでいた。「仲間」のことは、たびたび話題になるので、そのつもりになっていた。

カレーキャラバンは、出かけた先で、見知らぬ人、通りすがりの人と一緒にカレーをつくる。そして、カレーをつくるのに、名刺交換も堅苦しいあいさつも必要ない。共同調理であることはまちがいないのだが、きちんと分担が決まっているわけではない。かなり働く人もいるし、それほどでもない人もいる。もとより、人によってできることはちがうし、出入りが自由なので、整然と段取りするほうが難しい。その「ゆるさ」に戸惑う人も、少なくない。ぼくたちは、そのやり方に慣れているので、二人が初対面だったということに驚きはしたものの、それほど不思議なことでもなかったのだろう。お互いに違和感を感じることなく、わずかな時間でも楽しく過ごせるなら、素晴らしいことだ。

 

「ゆるさ」はパワー

よく知らない人であったとしても、一緒に楽しく過ごすことができる。これは、カレーキャラバンの「ゆるさ」のおかげだ。『つながるカレー』にも書いたのだが、カレーは「わかりやすい」のだ。ぼくたちが、カレーをつくっていることは、見ればすぐにわかる。だから、カレーの鍋をかき回しているぼくたちを見て、「何をしているんですか」という質問は、まずありえない。理由や目的を問われると、ちょっと面倒なのだが、もっと素朴に「美味しそう」「食べたい」といったやりとりがはじまれば、もはや名前を聞くことさえも忘れてしまう。
亜維子さんもぼくも、「何者なのか」を問われることは少ないように思う。テントや幟など、小道具もそろっている。お揃いのTシャツとエプロンを身につけていれば、それなりに「業者」っぽく見えるのだろう。気楽にことばを交わしながら、カレーづくりがすすむ。

この春、カレーキャラバンは、これまでのやり方をふり返りながら、あたらしいフェーズに入った(ぼくたちは「サードシーズン」と呼んでいる)。器財も少し整理して、亜維子さんが手に入れた「アロラ鍋」を使うようになった。ここ3回ほど使っただけだが、なかなか調子がいい。中華鍋のような形をしているので、火が上手く回るようだ。これで、20個くらいのタマネギを刻んで炒める。水分が飛びやすいので、少しスピードアップにもつながる。容量は、これまでに使ってきた大きいほうの寸胴とほぼ同じだ。なにより、寸胴とちがって大きく広がっているので、みんなで鍋を囲むことができる。これは、ちょっとしたことのように思えるが、じつは無視できない。寸胴だと、せいぜい数名でのぞき込むことしかできないが、「アロラ鍋」はずっと開放的だ。ちょっと離れたところからでも、ようすが見える。 

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 【2017年7月16日(日)カレーキャラバン 西千葉編(HELLO GARDEN)】

 このあたらしい鍋が理由ではないと思うが、「サードシーズン」では、ちょっと不思議なことが起きている。設営から食材の買い出し、カレーづくり(そして撤収まで)の流れは、いつもと変わらない。60回も続けてきた、「いつもどおり」のやり方のはずなのだが、「サードシーズン」になってから、包丁を一度も握っていないのだ(言われるまで、気づかなかった)。もちろん、ここ3回(那珂湊、西千葉、世田谷)は「仲間」がたくさん来てくれたので、つくり手が大勢いたことはまちがいない。みんな、ぼくたちのカレーづくりの流れや段取りをよく知っているので、とくに打ち合わせをする必要もない。予定の時刻を気にしながら、徐々に完成に向かった。ぼくは、遠くで指示を出していたわけでもなく(そもそも、そういう立場でかかわることはできない)、やる気がなくて傍観していたわけでもない。鍋をかき回したり、道行く人とおしゃべりをしたり、「いつもどおり」にしていたはずなのだが、包丁を握らなかった。
それほどに、たくさんの手があったということだ。主宰者でありながら包丁を手にしないことには、ちょっとした違和感や罪悪感をいだくのだが、これも「ゆるさ」の延長だと考えれば、きっとこのままでいいのだろう。ぼくたちは「旅」を計画し、どこかのまちかどに大きな鍋を置いて、コンロに火を点ける。そこから先は「ゆるさ」に身をまかせるのだ。

【2017年7月16日(日)カレーキャラバン(西千葉編)|ビデオ:最上紗也子】

 「ゆるさ」はパワーだ。説明がいらない。瞬時に脱力させ、無防備に近づかせる。あっという間に楽しい時間が過ぎて、やがて終わりが来るのに、なんとなく忘れられなくなる。ぼくたちが標榜する「ゆるさ」は、「締めが甘い」のではなく、「きちんとゆるい」ということだ。
じつは、ぼくたちの身の回りには、大切にされている「ゆるさ」がたくさんある。たとえば、クルマのハンドルには「遊び」がある。ハンドルの操作が、すぐさまクルマに伝わると、優れた性能のように見えて、かえって疲れてしまうのだ。わずかな動きにいちいち敏感に反応するようだと、危ない場合もある。だから、適切な「遊び」があると、余裕をもってドライブできるのだ。

「ゆるい」ことは、いい加減でもテキトーでもない。ある種の寛容さをもち、あたらしい展開、予期せぬ出来事を受け入れる準備ができているということだ。「ゆるい」からこそ、「仲間」がたくさん来たときには、ぼくが包丁を握らなくてもカレーができあがるというような、魔法のようなことが起きてもかまわないのだ。ぼくたちは、5年間、カレーづくりを楽しんできただけではなかった。人びとが(ごく自然なかたちで)参加を促され、いきいきとしたコミュニケーションを「味わう」ことのできる場所には、(適度な)「ゆるさ」が必要だということ。そのことの大切さを、いろいろなハプニングに遭遇しながら、身体に取り込んできたのだ。🐫

ココからはじまる なかみなとカレー

2017年6月24日(土)|藤屋ホテル前 駐車場(茨城県ひたちなか市)

ひさしぶりのカレーキャラバン。今回は、加藤研の「那珂湊キャンプ」に合流するかたちでカレーをつくることになった。 昨秋の「KENPOKU ART 2016」では、茨城県の6つの市町を巡ってカレーをつくった。ほぼ毎週末、「県北」に向かってクルマを走らせていたので、今回、那珂湊(「県北」ではないかもしれないけど)に向かうときには、ちょっと懐かしい気分になった。

カレーキャラバンは、3月17日に5周年を迎えた。これまで、北は函館(北海道)から、南は基山(佐賀県)まで、全国の63か所を巡ってカレーをつくった。まぁ5年も続けていれば、いろいろなことが起きるわけで、今回は、これまでの足跡をふり返りつつ、あたらしい「シーズン」のはじまりとなった。

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土曜日の朝、ホテルの前にある駐車場で設営をはじめた。ほどなく、亜維子さんが到着。ひととおり荷物を駐車場に並べてから、買いものに出かけた。戻ってからは、いつものとおり、のんびりとカレーの仕込みにとりかかった。良く晴れて、暑い一日になりそうだった。

あたらしい「シーズン」を迎えるにあたって、あれこれと増やしてきた道具を、少しずつ整理することにした。これまで使ってきたテントは、設営のときに脚が壊れてしまったのだが、たまたまホームセンターで見かけた「広告の品」のテントを衝動買いした。「キャラバンメイト」というDIYのモバイルキッチン(調理台)も、あたらしいモデル(参号)を投入。これまでのものよりも、ずいぶんコンパクトになった。エプロンも旗(幟)も新調。2017年版のTシャツもつくった。そして、カレーを煮込む鍋は、亜維子さんが手に入れた「アロラなべ」になった。大きな寸胴と同じくらいの容量だが、中華鍋のように広がっているので、熱がうまく全体に行き渡るようだ。なにより、みんなでかき回すのにちょうどいい。のぞき込むことなく、カレーのようすがわかる。

予定よりも少し遅れて、「ココからはじまる なかみなとカレー」ができた。いろいろと道具は変わったが、みんなでカレーを食べる風景はいつもどおりだった。近くに腰をおろしたり、立ち話をしたり。夕暮れの、カレーのある風景が好きだ。「場づくり」について、しきりに口にしている人はたくさんいるが、こんなふうに実際に「場づくり」を続けている人に出会うことは、ほとんどない。(自己満足だと言われそうだが)たまには、ぼくたちを少し褒めてもいいかもしれない…と思った。

f:id:who-me:20210225071734j:plainココからはじまる なかみなとカレー🍛! #カレーキャラバン #サードシーズン #nakap

f:id:who-me:20210225071729j:plainみんなで食べます。 #カレーキャラバン #サードシーズン #nakap

 

 亜維子さんもすでにFacebookに書いているのだが、今回、ぼくたち(カレーキャラバンのメンバー)は、あまり仕事をしなかった。もちろん、何もしなかったわけではないが、この日は包丁を握らなかった。それも、言われるまで、気づかなかった。それでも、ちゃんと(美味しい)カレーができあがった。

いよいよ、ぼくたちの「サードシーズン」がはじまる。昨秋の「KENPOKU ART 2016」でできたつながりで、滝さん、真衣さんは設営のときから手伝ってくれた。たやまさん、ましこさん、ひろせさんと再会することもできた。きょうは、ぼくたちではなく、みなさんが包丁を握っていたのだ。
高橋さんは、仲間をたくさん連れて、やって来た。みやもとさんは、(開催場所の情報はほとんど告知していなかったのに)おみやげを手に訪ねてくれた。よしえさんは、(変わることなく)絶妙のタイミングで現れた。「三宅島大学」プロジェクト以来、ずっとお世話になっている大内さんは、地元だということもあって(実家の)お米を差し入れてくれた。鍋にスパイスを入れる役目は、こうすけ君にお願いした。こんなふうに、多くの人の手を借りて、カレーができあがった。そして、卒業生たちにもらった2升炊きの炊飯器も活躍した。『つながるカレー』でも触れたとおり、まさに「石のスープ」の情景だ。

この5年間、ぼくたちがつくってきたのは、カレーだけではなかった。
目には見えないが、気づけば、愛すべきたくさんのつながりが生まれていたのだ。これまでの出会いに感謝するためにも、キャラバンは、まだしばらく続けなければならない。そう思った。一人ひとりが〈何か〉を出し合って、なべがいっぱいになる。もちろん、お腹もいっぱい。🐫

 

◉撮影・編集:大橋香奈(yutakana http://yutakana.org/

ありがとう、KENPOKU。

🍛ありがとう、KENPOKU ART 2016。芸術祭の会期中、無事に6つの市町でカレーをつくりました。
Eventually, we haunted six regional cities, along the seaside and in the mountains, during KENPOKU ART 2016 (an international art festival held in Northern Ibaraki Prefecture), and cooked curry with local produces. Thank you for your support!

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in KENPOKU 06: 土からありがと根カレー

2016年11月19日(土)|梅津会館(茨城県常陸太田市)

そして、ついに6か所目。11月19日(土)は、常陸太田市の梅津会館の前にテントを張った。あいにくの空模様だったが、カレーを配る頃には雨が上がり、たくさんの人が集まった。
あらためてふり返ってみると、KENPOKU ART 2016(茨城県北芸術祭)でのカレーづくりは、とにかく忙しかった。およそ2か月という会期中に6か所。すでにこの期間中に行くことが決まっていた分をくわえると、8か所。ふだんは月に1回が基本だったので、体験したことのないペースですすんだことになる。2日連続(11月5日・6日)というのも、いままでになかった。「関西ロード」と称して、いわば「夏休み」気分で、数日間の遠出をしたことはあったが、今回は、ほぼ毎週末、茨城に向かってクルマを走らせていた。日常のなかに、カレーキャラバンが組み込まれたような感覚だ。だから、この2か月間は、テントやテーブルをはじめ、カレーづくりの器財をクルマに積んだままだった。

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(予想していたとおり)「作品」を観る機会は、ほとんどなかった。前にも書いたはずだが、ぼくたちは、アーティストでもスタッフでもない立場で芸術祭にかかわった。もちろん、ケータリングのサービスでもない。あたらしいやり方で、芸術祭に参加していたのだと思う。そして、あたらしい方法であるからこそ、その体験は格別なのだ。それほど告知はしなかったのだが、芸術祭のいちプログラム(出没型食プログラム)として位置づけられていたこともあって、なかには(アート作品ではなく)カレーに興味をもって、訪ねてくれる人もいた。それぞれの市町では、事前の連絡や調整が行き届いていたので、たくさんの人が、手伝う準備をしてぼくたちを待っていてくれた。行く先々で出会いに恵まれ、一緒にわいわいとおしゃべりをしながら手を動かした。

なかには、この2か月のあいだに、何度もカレーキャラバンを「追っかけ」てくれた人もいた。いつもは、北へ南へと分散気味だが、今回は6か所とも同じ県内だったからだろうか。多少の移動はあるものの、県内のあちこちに出没するというやり方のおかげで、「追っかけ」やすかったのだろう。名刺交換などはめったにしないが、再会をくり返していれば、お互いに顔を覚える。少しずつ、距離が縮まってゆく。

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 近年、各地でさまざまなアートプロジェクトがおこなわれているが、評価の際には会期中の来場者数がたびたび話題になる。「県外」からどれだけ人を呼べるか。いわゆる「交流人口」を増やすことが、目標として掲げられる。だが、「来場者数」も「交流人口」も、たんなる量的な手がかりでしかない。誰が、どのように「作品」に触れ、誰とことばを交わしたのか。それは、どのような体験だったのか。数値には表れることのない「交流」の質をきちんと理解することが重要だ。そして、もっと大切なのは、芸術祭が終わった後のこと、これからのことだ。

たびたび訪れてくれた人(つまり「リピーター」)の姿を想い浮かべると、じつは、「県内」での動きも、それなりに活発だったように感じられた。もちろん「県外」からの来場者も大事だが、「県内」の人びとが、家族や友だちと一緒に、何度か展示を巡っていたのなら、それはとても素敵なことだ。今回のような芸術祭をとおして、記憶に残る体験を少しずつ身体に刻んでゆけば、きっと「アート」と向き合う態度も変わるだろう。そもそも、唯一の「見方」があるわけではないのだから、まずは「すごかったね」「なんだか、よくわからないね」といった素朴な感想を、家族や友だちと交わすことに意味がある。「アート」がきっかけとなって、コミュニケーションが生まれる。

カレーキャラバンも、ちょっとした「話の種」になっていただろうか。毎回90皿ほどは配っていたので、6か所で500皿以上は食べてもらうことができた。そのなかには、「リピーター」もたくさんいる。慌ただしい2か月だったが、ぼくたちがつくっていたのはカレー(だけ)ではなかったのだ。KENPOKU ART 2016をとおして、大切な「なかま」ができた。きっとまた、どこかのまちで会えるはずだ。🍛
◉ビデオ|撮影・編集:大橋香奈