クローブ犬は考える

The style is myself.

in KENPOKU 04: カレー No. 60

2016年11月5日(土)|バンホフ(茨城県常陸大宮市)

記念すべき60回目は、KENPOKU ART 2016(茨城県北芸術祭)の会期中にやってきた。(3か月ほどの「充電期間」を経て)ここ数週間は、かなりのハイペースですすめているが、県北では4回目。朝から晴れて、暖かい日になった。買いものを済ませてからコミュニティカフェ「バンホフ」へ向かい、店の前にテントを張った。

カレーキャラバンの活動は、最初から「いま」のような形としてデザインされていたわけではない。だから、はじめた当初は、60回も続く(続ける)とは思っていなかった。いっぽうで、辞める理由も見つからない。「続けるコツは、辞めないことだ」というK先生の名言を思い出す。ぼくたちの活動も、辞めないから続いているのだ。
これまでに、いくつもの幸運が訪れた。2012年の3月にはじまって、2014年には『つながるカレー』(フィルムアート社)が出て、2015年にはグッドデザイン賞(地域・コミュニティづくり/社会貢献活動)をいただいた。そして2016年は、KENPOKU ART 2016で「出没型食プログラム」(← ぼくたちが提案している呼び方)を実践中だ。

すでに、たびたび書いたりしゃべったりしていることだが、ぼくたちの活動は「決めすぎない」のが特徴だ。あれこれ細かく決めすぎると、それにしばられる。何も決めずにおくと、途方にくれる。その〈あいだ〉で、「決めすぎない」ようにする。なるべくムリをせずに現場であれこれ考えて、一連の「迷い」を愉しむ余裕をもつのだ。そもそも、食材は、その日の朝に市場に行ってみなければ決まらない。道ゆく人の手を借りることもあるが、人数の見込みがあるわけでもない。多くのことがらが、その時・その場で決まる。

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現場は一回かぎりの体験だ。「決めすぎない」というより「決められない」ことが多いということだろうか。とはいえ、これまでに、60回の設営と60回の撤収をくり返してきた。そのくり返しをとおして、ぼくたちの感性が開拓されてきたように思える。

朝から晩まで路上で過ごすことになるので、どこにテントを張るか、どこで鍋を炊くかなど、場づくりを多面的に考えるようになった。邪魔にならないように配慮しながらも、道ゆく人との会話が生まれやすそうな位置をさがす。まわりの建物や自然を取り込んだ「カレーのある風景」を想い描くのだ。界隈に暮らす人にとって、まちが、ふだんとはちがった「見え方」になれば、それは愉快なことにちがいない。もちろん、テントの前の行列も、カレーを受け取った人の動きも考える。ぼくたちの仮設キッチンと、階段や縁石、ベンチなどとのつながりも想像する。予想(期待)どおりに、人びとが集うようすを見ると、うれしくなる。

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夕方になって、カレーができあがるころになると、人が(どこからともなく)集まってくる。提灯ランプを点して、鍋のフタを開けると湯気が立ち上る。ぼくの大好きな瞬間だ。

この日のカレーは、鍋のなかの食材や地名とは無関係の「カレー No. 60」になった。亜維子さんが準備してきた「60」の文字型のキャンドルに火をつけた。急な思いつきで、ちいさな旗もこしらえて、カレーに添えることにした。これまで、60回分の「カレーのある風景」を3人が見つめ、それぞれの志向や方法で身体に取り込んできた。だから61回目以降も、「決めすぎない」という態度さえあれば、だいじょうぶな気がするのだ。🍛

 
◉ビデオ|撮影・編集 橋本彩香

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in KENPOKU 03: 丘あんこうカレー

2016年10月29日(土)|旧富士ケ丘小学校(茨城県北茨城市)

KENPOKU ART 2016の会期中に、6つの市町をめぐることになっている。常陸多賀、大子につづく3か所目は北茨城へ。朝から、きれいに晴れた。片道180kmほどのドライブなので、運転しながら、アートプロジェクトについてあれこれと考える。そもそも、カレーキャラバンの活動もアートプロジェクトから生まれたのだ。
近年、全国各地でアートプロジェクトがおこなわれるようになった。規模や内容はざまざまだが、運営する際の組織づくりはもちろんのこと、ウェブをはじめとする媒体のあり方にいたるまで、アートプロジェクトを実践するための方法や態度を模索する試みもたくさんある。

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 そんななか、カレーキャラバンは、従来の「ひな形」には収まらないように、ささやかな抵抗を試みているのかもしれない。アーティストではないし、ボランティアスタッフでもない。ケータリングの業者でもない。ことなる立場や責任を「踏み越える」ことにこそ、関心があるのだ。いま、KENPOKU ART 2016では「イベント」というラベルのもとで活動しているが、おそらく、ぼくたちが志向するのは「ハプニング」と呼ぶべきものだ。予定調和的に進行する「イベント」ではなく、(ぼくたちの活動の)〈場面(シーン)〉を切り替える役割を果たすのが、「ハプニング」である。

好天にめぐまれたこともあってか、作品の鑑賞に訪れるクルマが頻繁に出入りしていた。とはいえ、界隈の人が鍋のそばを通りがかるというような場所ではないため、カレーづくりについては圧倒的に手が足りなかった。そんなとき、ふだんは「茨城県」と書かれた名刺を持って仕事をしているふたりが、事もなげに立場を「踏み越え」て、ぼくたちに手を貸してくれた。タマネギを刻んだり、あん肝をつぶしたりしている姿を見ていると、なんだか力が湧いてきた。SNSを介してぼくたちの活動を知り、手伝いに来てくれた人もいた。旧富士ケ丘小学校を担当しているスタッフのみなさんも、たくさん手伝ってくれた。さらに、ロフトワークの「円卓チーム」も。ぼくたちは、まさに「ハプニング」の連なりのなかにいたのだ。

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じつは、ことなる立場や責任を「踏み越える」などという大げさな話ではないのかもしれない。きっと、ぼくたちの頼りない手つきを見れば、誰もが手を貸そうという気になるだけのことだ。だが、さまざまなかかわりのなかで、その日かぎりのカレーづくりが実現する。だから、いつでもその現場に立ち会うことができるのは、ぼくたちの特権なのかもしれない。

それにしても、北茨城の風は冷たかった。10月も終わろうとしているのだから、あたりまえのことか。たびたび県北に通いながら、秋から冬へ、確実に時間が流れていることを実感している。🍛
 
◉ビデオ|撮影・編集 Lisa Yabora

按配

2016年10月13日(木)

カレーをつくっているあいだ、木村さんは、「ここって公園なんだな」と何度か口にしていた。この日、ぼくたちはSHIBAURA HOUSE(東京都港区)でカレーをつくった。開放感のある空間に、テントを張る。天井が高く、大きなガラスをとおして外の光をふんだんに浴びることができるので、いつものように、まちかどに居場所をつくるのと、さほど変わらないように思えた。
きっと、何のための空間なのか、よく知らずに前を通っている人もたくさんいるにちがいない。SHIBAURA HOUSEは、「株式会社 広告製版社」の社屋である。ユニークなのは、多くのオフィスだと(規模にもよるが)、受付やロビー、商談・打ち合わせ用の机とテーブルが並んでいるはずの空間が、まちに開かれているということだ。大きなテーブルやイス、コーヒーサーバー、子ども用のおもちゃも置いてある。書棚には本が並ぶ。1階だけでなく、2階も「フリースペース」になっているそうだ。

お昼どきになると、おべんとう(が入っていると思われる袋)を提げて、人がやって来る。「いつもの席」があるのだろうか。まるで、じぶんの勤務先のビルであるかのように、慣れたしぐさで2階に向かう人もいる。「ママ友」たちの憩いの場にもなっているようだ。ノートPCに向かう人も、本を広げて何かの勉強に勤しんでいる姿も。多くの人が、それぞれのスタイルで、この空間をのびのびと使っている。

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【2016年10月13日(木)|SHIBAURA HOUSE(通算57回目のカレーづくり)】


だいぶ雰囲気はちがうが、ちょうど去年のいまごろ、千葉県の館山市でカレーをつくったときのことを思い出した。館山では、「金八商店」の脇にある空き地にテントを張った(そのときのようすについては、「ゆるさ」があれば(4)にまとめた)。空き地であるとはいえ、「金八商店」の鳥山さんの手によって、近所の人びとに開放するために整えられた空き地だった。だから、形式的には「私有地」のはずなのに、気軽に入ったり出たりできる場所として、みんなに利用されているようだった。さらに、鳥山さんの遊び心とサービス精神のおかげで、空き地は、ぼくたちのカレーづくりに理想的な場所に変わった。
SHIBAURA HOUSEも、いち企業の社屋なのだから、形式的には「私(プライベート)」の領域だということになる。それでも、伊東社長の大らかな考えのもと、界隈の人びとが出会い、集う場所として「フリースペース」がデザインされている。「ここって公園なんだな」という木村さんのひと言は、その本質をとらえていたということになる。

朝から晩まで、人の動きを眺めながら過ごした。カレーの準備をしていると、この「フリースペース」も、そしてガラスの向こうの通りやまち並みも見渡すことができた。あたりまえのことだが、昼間は「内」も「外」も明るいので、まさに公園や広場のような感覚で過ごすことができる。道ゆく人びとからは、カレーをつくっているようすが「丸見え」だったはずだ。のんびりと鍋をかき回しているぼくたちの姿は、どのように見えていたのだろうか。いっぽう、ぼくたちの側からは、急ぎ足で駅とのあいだを行き来する人びとの姿が見えた。「外」と「内」では、ちがうスピードで時間が流れているような感じがした。夜になると、少しだけ「外」は見えづらくなり、「内」にいるぼくたちは、ますます「丸見え」になっていった。

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【2016年10月13日(木)|SHIBAURA HOUSE】

 

このスペースは、つねに「丸見え」で、(決められた時間帯は)開放されているのだが、「内」へと一歩すすむのには、ちょっとした勇気が必要なのかもしれない。「公園」のようでありながら、じつはガラスの扉を開けなければならないからだ。もちろん、いちどでも「内」に入る体験をすれば、そのあとは気軽に出入りできるようになって、やがては「常連」になるだろう。ちょっとした勇気がなければ、お互いの姿が見えていても、「外」と「内」は透明なガラスに隔てられたままになる。
いっぽう、あまりにも大勢の人が「内」に入ってきたら、「フリースペース」は騒々しくなる。穏やかに過ごしたくてこの場所をえらんでいる人にとっては、迷惑な話だ。気軽に出入りしてほしいが、「敷居が低い(低すぎる)」のも困る。誰かに教えたいような気持ちもあるし、じぶんだけの場所として黙っておこうかとも思う。この按配がむずかしい。

ガラスの「外」からは、周囲に不似合いな面々が鍋をかき回しているようすが見えていたはずだ。ずっと扉を開けてカレーをつくっていたので、スパイスの香りが「外」と「内」の「あいだ」をただよった。数はわずかだったかもしれないが、スパイスの香りに誘われて、初めて「内」に入ったという人がいた。ちょっとしたきっかけがあれば、「外」と「内」を分けているガラスは、すぐに見えなくなるのだ。按配しだいで、場所は変わる。

 

in KENPOKU 02: だいご Oh!しゃもカレー

2016年10月8日(土)|大子町文化福祉会館「まいん」

ふたたび、KENPOKU ART 2016へ。およそ2か月という会期中に6つの市町を巡るので、なかなか忙しい。これまでのペースをはるかに上回り、ほぼ毎週のように茨城に出かけることになる。その2回目は、奥久慈の大子町(だいごまち)へ。久慈川に沿うように、ゆるやかに蛇行しながら国道118号線を北上した。

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あいにくの空模様だったが、大子町文化福祉会館「まいん」の軒下を借りて、カレーをつくることになった。さっそく荷物を降ろして、いつものように場所を整える。もともと、「まいん」の軒下にはベンチがいくつか置かれていたので、ぼくたちがクルマに積んでいたテーブルやイスとともに、設えを考えた。

設営をしているうちに、(カレーづくりのことを聞いたという)子どもたちがやって来たので、さっそくタマネギを刻むのを手伝ってもらうことにした。いきなり路上でカレーをつくりはじめるのだから、やはり不思議な光景なのだろう。その後も、道ゆく人に声をかけられて、ことばを交わす。多くの人が入ったり出たりしながら、カレーづくりがすすんだ。
ふと、福島県の矢吹町でカレーをつくったときのことを思い出した。カレーキャラバンの活動をはじめて、ちょうど1年ほど経ったころ、矢吹のまちで、たくさんの人びとの手を借りてカレーをつくった。できあがったカレーをみんなで和気あいあいと食べて、みんな「完食」だった。紙ナプキンの「感謝状」ももらった。

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「だいご Oh!しゃもカレー」を配りはじめようとしていたときだった。いつの間にか人が集まりはじめ、ぼくは列の先頭に並んでいた女性と話をしながら準備をしていた。なぜこのような活動をするのか。なぜカレーをタダで配るのか。カレーを販売しないとしても、せめて募金箱くらい置いておけばいいのではないか。このような(お金が出ていくだけの)道楽を続けていて、家族は迷惑に感じていないのか。質問されているようでいて、じつは先輩に諭されているような、ちょっと叱られているような気分になっていた。

たびたび、ブログなどに(そして『つながるカレー』という本にも)書いているとおり、カレーキャラバンの活動には、理屈がある。というより、ひとつの態度表明なのだ。もちろん、質問があれば、きちんとした説明を試みることが大切だ。だがそのいっぽうで、ぼくたちは、理屈では説明できないことがらがたくさんあることも知っている。
 
カレーができた。矢吹町での体験を思い出したのは、「みんなでつくって、みんなで食べる」という、カレーキャラバンの「原点」ともいうべきものに触れたからだろう。大子町には、それを彷彿とさせる包容力があった。雨が上がった。ひと皿のカレーは、心を溶かす。最前列にいた女性も、美味しそうにカレーを食べていた。🍛
 
◉ビデオ|撮影・編集:Kana Ohashi (yutakana)

in KENPOKU 01: ひたち たがたこカレー

2016年9月30日(金)|常陸多賀駅前商店街

この秋は、KENPOKU ART 2016の会期中にカレーをつくることになった。こうしたアートプロジェクトについては、さまざまな議論がある。来場者数だけでアートプロジェクトの成否を評価できるのか、アートをとおした「地域活性」は可能か、地域に暮らす人びととアーティストたちとの関係性をどう理解するのか。突きつめていくと「アートとは何か」という問いも無視できなくなる。

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カレーキャラバンは、どこかのまちかどで半日を過ごす活動だ。カレーをつくりながら、界隈のようすを眺める。もちろん、道ゆく人とことばを交わすこともある。結果として、まちの定点観測をおこなっていることになる。30日は、常陸多賀駅前商店街の旧銀行前で過ごした。力石さんの作品を展示している会場には、多くの人の出入りがあった。

なによりも印象的だったのは、日常的に商店街とともに暮らしている人びと、そしてスタッフとして芸術祭を支えている県北の人びと(もちろん「外」からスタッフとしてかかわる人もいる)が、とても活き活きしていたということだ。
もちろん、「芸術の秋」なので、遠くから県北まで足をはこぶ人も少なくないだろう。もし会期中の来場者数が大切なら、「外」からたくさんの人を呼ぶ必要もある。だが、アートプロジェクトは、来場者数や経済効果(どのくらい「お金が落ちたか」)だけでは理解しえないということも、ぼくたちは知っている。一つひとつのちいさなエピソードが、人びとの気持ちやまちの見え方を変容させる。その兆しのようなものに気づくことこそが、大切なのだ。

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「どのように評価するのか」だけではなく、「誰が(誰のために)評価するのか」を、もっと議論しなければならない。たとえば地元を愛する高校生たちは、オトナたちの思惑や算段など気にする必要もなく、素朴に(まちなかに埋め込まれた)「アート」に接しているように見えた。それは、とても素敵なことだ。いつもの商店街で「アート」に触れたという体験は、すぐに目に見えるような変化を生むものではないだろう。きっと、時間をかけて、表れてくるはずだ。

鍋をかき回しながら、そんなことを考えていた。すぐ傍らにある街路樹は力石さんの作品で彩られていて、カレーづくりが明るくなった。🍛
 
◉ビデオ|撮影・編集:Kana Ohashi (yutakana)