クローブ犬は考える

The style is myself.

in KENPOKU 01: ひたち たがたこカレー

2016年9月30日(金)|常陸多賀駅前商店街

この秋は、KENPOKU ART 2016の会期中にカレーをつくることになった。こうしたアートプロジェクトについては、さまざまな議論がある。来場者数だけでアートプロジェクトの成否を評価できるのか、アートをとおした「地域活性」は可能か、地域に暮らす人びととアーティストたちとの関係性をどう理解するのか。突きつめていくと「アートとは何か」という問いも無視できなくなる。

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カレーキャラバンは、どこかのまちかどで半日を過ごす活動だ。カレーをつくりながら、界隈のようすを眺める。もちろん、道ゆく人とことばを交わすこともある。結果として、まちの定点観測をおこなっていることになる。30日は、常陸多賀駅前商店街の旧銀行前で過ごした。力石さんの作品を展示している会場には、多くの人の出入りがあった。

なによりも印象的だったのは、日常的に商店街とともに暮らしている人びと、そしてスタッフとして芸術祭を支えている県北の人びと(もちろん「外」からスタッフとしてかかわる人もいる)が、とても活き活きしていたということだ。
もちろん、「芸術の秋」なので、遠くから県北まで足をはこぶ人も少なくないだろう。もし会期中の来場者数が大切なら、「外」からたくさんの人を呼ぶ必要もある。だが、アートプロジェクトは、来場者数や経済効果(どのくらい「お金が落ちたか」)だけでは理解しえないということも、ぼくたちは知っている。一つひとつのちいさなエピソードが、人びとの気持ちやまちの見え方を変容させる。その兆しのようなものに気づくことこそが、大切なのだ。

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「どのように評価するのか」だけではなく、「誰が(誰のために)評価するのか」を、もっと議論しなければならない。たとえば地元を愛する高校生たちは、オトナたちの思惑や算段など気にする必要もなく、素朴に(まちなかに埋め込まれた)「アート」に接しているように見えた。それは、とても素敵なことだ。いつもの商店街で「アート」に触れたという体験は、すぐに目に見えるような変化を生むものではないだろう。きっと、時間をかけて、表れてくるはずだ。

鍋をかき回しながら、そんなことを考えていた。すぐ傍らにある街路樹は力石さんの作品で彩られていて、カレーづくりが明るくなった。🍛
 
◉ビデオ|撮影・編集:Kana Ohashi (yutakana)