クローブ犬は考える

The style is myself.

「ゆるさ」があれば(1)

カフェにテントをはる

2014年9月7日(日)、『つながるカレー』の出版記念イベントがおこなわれた。せっかくなので、カレーを食べながらのイベントにしたいという想いから、カフェが併設された書店が、会場にえらばれた。東京駅にほど近いKITTE(東京都千代田区丸の内)にあるマルノウチリーディングスタイル Caféで、カレーパーティーのような、トークショーのような集まりを企画した。ゲストは、ナガオカケンメイさんだ。

打ち合わせのとき、カレーのことはもちろんだが、ふだんのカレーキャラバンの雰囲気を見てもらいたいという話で盛り上がり、いつもの器財を持ち込んで、(できる範囲で)「現場」を再現することになった。テントをはって、「キャラバンメイト壱号」も設置した。他にも、いろいろ小道具を並べた。さすがにカフェのなかでコンロをつかうことはできず、さらに90分という集まりなので、カレーは、あらかじめつくったものを温めて出すことにした。厳密に言うと、いつものカレーキャラバンとはやり方がちがうが、これが(番外編を除いて)28回目になる。

今回は、この夏の「関西ロード」で出会った食材が入ったカレーを配ることになっていた。淡路島のタマネギをたくさんつかってキーマカレーをつくり、高松の醤油豆を添えて、小豆島のもろみをトッピング。すべて、この夏の「おみやげ」だ。それから、仏生山温泉で岡さんが準備してくれた灯りが、とてもいい雰囲気だったので、この日のために新調し、テントに提げて電球を点した。

ナガオカさんには、昨年9月に新聞の連載でカレーキャラバンのことを取り上げてもらったり、『つながるカレー』の帯にことばを寄せてもらったりしていたが、じつは、肝心のカレーは、まだだった。今回のイベントは、ナガオカさんに味見をしてもらうための場でもあった。ほぼ一年がかりで、実現したのだ。

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トークイベントは、きちんとしたシナリオが準備されていたわけではなく、終始「ゆるい」感じで進行した。じつは、事前に流れを決めすぎると、面白くない。即興的なやりとりこそが、場を盛り上げる。というより、カレーを配る時間もふくめて90分しかないのだ。設営から撤収まで、いつもとはだいぶちがっていた。17:00にカフェの通常営業を終え、それから設営、17:30に開場、18:00開演(開宴)というスケジュールだ。つまり、17:00からわずか30分のあいだにテントをはったり、机やイスを動かしたり、カレーの準備をしたり。大忙しだった。

ふだんは、もっと時間に余裕がある。おそらく、30分で設営を済ませることなど、これまでにはなかった。もちろん、「やればできる」ことはわかったが、そもそも、カレーキャラバンは、分刻みのスケジュールで動いているわけではない。準備をしていると、「あと5分です!」というMさん(カフェのマネージャー)の声が、カフェ全体をつつむ。急がないと…。ぼくたちの活動が、とても「ゆるい」やり方で組み立てられていることを、あらためて実感した。

 

「ゆるさ」を考える

イベントは、あっという間の90分だったが、ふり返ると、いろいろな発見があった。ナガオカさんのコメントを聞きながら、「つながるカレー」について考えた。おそらく、大事なキーワードは「ゆるさ」だ。それが、カレーキャラバンの「持ち味」のひとつなのだ。だが、じつは「ゆるい」というのは難しい。「ゆるキャラ」は、ずいぶん親しみのあることばになったし、つい最近、同僚からもらった本のタイトルは『団地のゆるさが都市(まち)を変える。』だった。「ゆるい」ということばで、なんとなく「何か」が共有されているのだが、その正体は何か。

 

ひとつわかっているのは、「ゆるさ」は、たんなる「無計画」や、後先を考えない「いい加減」なのとはちがうということだ。おそらく、カレーキャラバンの「ゆるさ」は、コミュニケーションのあり方に表れている。まちで鍋を炊き、人びとが来るのを待つ。それが基本だ。慌てず急がず、いつでも誰かとのコミュニケーションをはじめられるように、じっと待っている。鍋を無視されても、あるいは行きずりの人がいなくても、かまわない。そもそも、(あらかじめ)決められた数のカレーを配るために、努力しているわけではないからだ。『つながるカレー』にも書いたが、鍋の中身が(「国民食」とも言える)カレーだという理由で、誰もがツッコミもダメ出しもできる。誰もが知っていて(そして嫌いだという人にはめったにお目にかからない)、誰もがカレーについては「言いたいこと」がある。

周到に準備された、規律正しいカレーづくりは、おそらく道ゆく人に対して「拒絶」のメッセージを送ってしまう。手際が良く、「専門家」のように調理をしていたら、通りがかりの人が関わる余地を奪うことになるだろう。その動きや技を眺めて声をかけてくれる人はいるかもしれないが、そこで築かれるのは、「つくる人」と「見る人(食べる人)」という役割分担だ。いっぽう、不勉強であまりにも無計画なつくり方だと、見ていて面白くないだろう。面白くないばかりか、心配になって、どのように関わればいいのかわからなくなる。無愛想でいい加減なふるまいだったとしたら、見ていて腹立たしくさえなるはずだ。

周到な計画か、それとも不作法な自由か。カレーキャラバンが目指す「ゆるさ」は、これらの両極の「あいだ」のどこかにある。はじめて会った人でも、さほど気負わずに関わることのできる「場所」をつくっておきたい。とはいえ、決められた役割を担ってもらおうというわけでもない。それほど、厳密ではないのだ。人と出会い、コミュニケーションをとおして(コミュニケーションをとおしてのみ)、お互いのカレーづくりへの関わり方が決まる。ひとり一人が、それなりに「つくる人」と「見る人」と「食べる人」の役割を担うことになる。役づくりも、セリフも、ストーリーも、すべてコミュニケーションがつくり出す。「ゆるさ」は、バランスだ。そして、「ゆるさ」は、豊かなコミュニケーションには欠かせないのだ。

トークイベントは、あっという間に終わってしまった。ナガオカさんとのかけ合いのなかで、カレーキャラバンについて、いろいろと考えるべきことがあると思った。まずは、「ゆるさ」について、きちんと語ることからはじめてみたい。