クローブ犬は考える

The style is myself.

つながるカレー(7)

2ドル50セントの幸せ

いまでも忘れられない風景がある。もうずいぶん前のことになるが、アメリカで大学院に通ってい たころの話だ。ランチタイムになると、キャンパスのすぐ前の通りに、移動販売のトラックが何台も並んだ。ピザやサンドイッチはもちろん、タコス、チャイ ニーズ、ケバブなど、メニューはとても豊富だった。車内で大人が二人ほど動き回れるくらいの大きなトラックで、立派なキッチンが組み込まれているものが多 かったように思う。

キャンパスの近所には、レストランやフードコートもあったが、トラックで買うのが好きだった。その日の気分でトラックを えらんで、だいたい、当時で2ドル50セントほど払えば、満腹になった。しばらくくり返していると、曜日ごとにトラックが変わることにも気づいたし、味の 善し悪しもわかるようになった。やがて、贔屓したくなるトラックもできた。テイクアウト用の容器をもってキャンパスに戻り、外で食べるのが心地よかった。 構内にはたくさんベンチやテーブルが置かれていたし、気持ちのいい季節なら、芝生に座るのも悪くない。ささやかながら、幸せなランチタイムだった。

いま考えてみると、味はもちろんだが、その日のトラックをえらぶ(つまり、何を食べるかを決める)ところからはじまって、列に並び、ランチを手に入れ、キャ ンパスのなかで場所を見つけるところまで、この一連の流れが楽しかったのだ。注文するときだけだが、店主とやりとりするためには英語でしゃべらなければな らない。ファストフードなら、メニューを指さしたり番号で告げたりすればいいが、移動販売だと勝手がちがう。たとえサンドイッチひとつでも、パンの種類に はじまって、具材や調味料にいたるまで、いろいろとお願いすることになる。慣れないころは、トラックのなかのオジサンに、ちゃんとオーダーが届くかどう か、ソワソワした。些細なことかもしれないが、上手くじぶんのサンドイッチを注文できるようになってくると、なんとなく「異文化」になじんでいくような気 にもなった。

近年、日本のランチタイムの風景も変わってきたようだ。移動販売のトラックは、ひと頃にくらべてたくさん見かけるようになっ た。オフィス街の一角に、数台のトラックが並んでいる光景は、なかなか楽しい。いろいろな事情のためだと思うが、アメリカで見たような大きなトラックでは なく、軽自動車のワンボックスが多い。見た目はずいぶんちがうが、それでも、あのころのランチタイムを思い出す。わずか一時間ほどの昼休みを彩ってくれる、大切な存在だ。いままであまり意識していなかったが、ランチタイムになるとまちに出現する移動販売は、「カレーキャラバン (http://curry-caravan.net/)」について考える上で、大いに参考になりそうだ。

 

コミュニケーションが場所をつくる

ランチタイムに、まちを歩いてみよう。いろいろな移動販売のスタイルに、出会うことができるはずだ。いま述べたようなトラックによる移動販売もあれば、リアカーのようなもの、荷台に大きな箱を取り付けた自転車が使われていることもある。あるいは、まちかどにたくさんのトロ箱が並べられているだけというやり方もある。いずれにせよ、ランチタイムのわずか数時間だけ、にぎやかな場所がつくられるのだ。

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バリエーションはあるものの、移動販売の現場には、さまざまな工夫が施されている。かぎられたスペースに、その日の営業に必要なモノを収納しなければならないからだ。おそらく、現場での経験をふまえて、幾度も改良・改変がくり返されてきたのだろう。たとえば、ちいさなトラックには、店主の経験と知恵が埋め込まれている。一台のトラックが停まり、なかから看板(ノボリ)やクーラーボックスが出てくる。やがて、いいにおいが漂って、私たちの食欲を刺激する。大道芸人がトランクひとつでやって来て、その場に即興的に舞台をつくるのと同じように、移動販売は、さまざまな「しかけ」で、道路や駐車スペースを、見事なまでに〈特別な場所〉に変えてくれる。だから、その工夫の詳細を知ることは、移動販売というスタイルを成り立たせている全体の段取りや、店主たちの日常生活について考えるきっかけにもなる。

「カレーキャラバン」では、(カレーの販売こそしないが)寸胴やコンロなど、カレーづくりに必要なモノをコンパクトにまとめておく必要がある。旅をしながら、一時的に、まちかどをキッチンを変えるのだ。専用のトラックがあるわけではないが、いろいろなまちを訪れているうちに、私たちは、「カレーキャラバン」に必要な装備について考えるようになった。即興的に場所をつくるためには、まだまだ勉強することがたく さんある。

そして、移動販売というスタイルを考えるとき、なによりも注目すべきなのは、私たちを笑顔で迎えてくれる店主たちだ。移動販売 は、店主が夢に見ていたスタイルなのだろうか。あるいは、何かべつの夢へと続いているのだろうか。味へのこだわりは当然のことながら、ちょっとしたひと言や、移動販売というスタイルによってつくられる全体の雰囲気など、すべてが店主の想いや覚悟の表れだ。店主には、大切な家族や仲間たちがいる。行きずりの客も「常連」もいる。たしかなのは、さまざまな人との関わりがあるからこそ、〈特別な場所〉が生まれるということだ。だから、個性にあふれる移動販売の 〈ものがたり〉を読み解くことは、人を想い、まちについて考えるための方法と態度を身につけることにもつながるだろう。

まちかどでカレーをつくっているとき、私たちが一番面白さを感じているのは、まちの人びととのコミュニケーションだ。ひと声かけるだけの人、あれこれ蘊蓄を語る人、私たちに代わって木べらで鍋をかき回す人。もちろん、一瞥もくれずに素通りする人もいる。関わりかたはいろいろだが、カレーの鍋が、まちの人びととの接点になっていることは実感することができる。その意味で、カレーの素材や調理器具も、すべてが人との関わりのためにあるのだ。〈場づくり〉の方法はたくさんあるが、 移動販売のように、一時的・即興的につくられる場所にこそ、面白さが感じられるのかもしれない。コミュニケーションが、場所をつくるのだ。