クローブ犬は考える

The style is myself.

まだまだつながるカレー

早いもので、今年のはじめに50回目の旅を終えた。そして3月17日には、4周年のお祝いをした。最近は、ちょっとハイペース。『つながるカレー』(フィルムアート社, 2014)には、初回(東京都墨田区)から、20回目(東京都大田区)までの活動内容の記録を収録している。出かけることになったきっかけや経過、食材のことなどをふくめて紹介している。

そして、3月中旬からは『まだまだ つながるカレー』と題した冊子の編集をすすめてきた。このちいさな冊子には、21回目(東京都八王子市)から40回目(東京都東村山市)までの活動内容を収めた。「年度末」に向けてドタバタとしていたものの、先日、無事に納品されたので、4月以降のカレーキャラバンで、配布したいと考えている。

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『まだまだ つながるカレー(協同調理を介した参加のデザインに関する研究)』(四六判・50頁)2016年3月17日発行(非売品)

加藤文俊・木村健世・木村亜維子

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50回目に向けて

出かける前のノート

年末、メンバーで集まって「カレー納め」をした。あらためて数えてみたら、2015年は19回のキャラバンを実施していたことがわかった。ふだん「だいたい月に1回」などと言いながら、それどころではなかった。カレーのために、時間もエネルギーも投入しすぎだろう…などと話しながら食事を終えて(=某所でカレーを食べて)、3人で年賀状を書いた。お世話になったかたがた全員に年賀ハガキをお届けすることはできないが(なかには名前も住所も知らない人がたくさんいる)、ふり返りながら、これまでのカレーづくりの情景を思い出した。「本業」のことも、体力のこともあるので、今年はきちんとペースを意識しながらすすめたいと思う。

今年最初のカレーキャラバンは、ご縁があって(くわしくは後日書きます)、神戸の和田岬界隈(神戸市兵庫区)で実施することになった。いろいろな調整の結果、1月17日(日)という、神戸にとって、とても大切な日に出かけることになった。そして、偶然にもこの2016年の「カレー初め」は、記念すべき50回目のキャラバンとなる。

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【2004年11月3日(水・祝)の葛飾柴又|柴又フィールドワーク】

ところで、いま「キャンプ」と呼んでいるフィールドワークの活動は、葛飾柴又(東京都)からはじまった*1。亀有信用金庫に勤める友人から声をかけてもらったのがきっかけで、2004年の秋に学生たちとともに、柴又の界隈を歩いた。葛飾柴又といえば、「寅さん」のまちとして知られている。そのときのフィールドワークを起点に、人と人とのつながりを辿りながら、まさに「寅さん」ふうに、全国のまちを巡るようになった。あれから十数年、昨年12月に訪れた喜多方(福島県)が、47都道府県のうちの27番目の逗留地になった。*2

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【キャンプの足跡|2004年11月〜】

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【カレーキャラバンの足跡|2012年3月〜(予定もふくむ)】

じつはカレーキャラバンも、人との出会いを辿って、ぼくたちの「ゆるさ」に身をまかせながら「寅さん」のように流れ続けて、まもなく5年目をむかえようというところだ。「寅さん」を演じていた渥美清さんは1996年の夏に他界しており、『男はつらいよ』シリーズは、第48話「寅次郎 紅の花」が最終話となった。

『男はつらいよ』が面白いのは、ストーリーはもちろんのこと、映画に当時のまちや風俗が記録されている点だ。たとえば20年前の建物、人びとの服装や髪型、道路を走るクルマや新幹線の車両など、懐かしさを感じるとともに、20年という時間の流れを実感するきっかけになる。1995年に公開された『男はつらいよ』第48話は、阪神淡路大震災の直前に、神戸から連絡があって以来、寅さんは音信不通という設定ではじまる。そして、映画には、20年前の津山(岡山県)、奄美大島(鹿児島県)、そして神戸(兵庫県)の風景が記録されている。

まさに1995年にロケがおこなわれているので、神戸のまちのようすは、ほぼ当時のものだという。山田洋次監督は、そのタイミングで神戸のまちで喜劇映画を撮影することにためらいがあったということだが、記事などを辿ると、「長田に寅さんを迎える会」のはたらきかけによって、ロケが実現したらしい。

いろいろな偶然とご縁をとおして、今年最初のカレーキャラバンは、1月17日に神戸で実施することになった。ぼくたちは、この20年間をかけて、神戸のまちがどのように変わってきたのか、その道のりを見てきたわけではない。もちろん、テレビで放映された、当時のようすは記憶に残っているが、これまでの20年間という歳月を飛び越えて出かけていくことになる。それは、緊張感をともなう。

「寅さん」に誘われた(いざなわれた)ような、そんな気分になって、神戸のまちかどで鍋を炊く。50回目の旅では、どのような出会いがあるのだろうか。ぼくたちは、何を感じるのだろうか。出かける先のことについては、あまりにも不勉強だが、とにかく五感を開放して、スパイスの香りとともにまちの空気を吸い込むことにしよう。

今年もどうぞよろしくお願いいたします。

 

*1:「キャンプ」という言いかたをしはじめたのは、2007年の後半あたり。

*2:喜多方キャンプ http://camp.yaboten.net/entry/kitap

「ゆるさ」があれば(5)

まちは意地悪

少し前の話になるが、2015年5月、川口駅前の「キュポ・ラ広場」でカレーをつくった。4月の上井草のときと同じく、『聖者たちの食卓』の上映会のあとでカレーを食べるという企画だった。ぼくたちは、広場の一角にテントを張った。とても広い空間だ。この広場は、ときおりイベントなどが開かれるらしいが、ふだんは、駅との行き来に使われている。人びとは、四角い広場の対角線の上を辿るように、足早に歩いている。これまでのカレーづくりの体験をふり返ると、松戸市の西口公園(2013年8月)、あるいは洋光台中央団地の広場(2015年1月)でカレーをつくったときに近いのかもしれない。

いずれも「公共スペース」として、利用されている空間だ。言うまでもなく、公園や広場は、誰もがある程度自由に出入りできるようになっている。松戸駅のそばにある西口公園は、ちいさな子どもを連れた「ママ友」たちも、囲碁に興じている「常連」と思われる人びともいた。近道がわりに、公園を横切って歩く高校生の姿もあった。洋光台中央団地の広場も、(さまざまなイベントのためのスペースとして活用されているが)ふだんは駅に向かう「通り」として使われているようだ。いつもは、あまり意識せずにいるが、じぶんたちが公園や広場に留まって活動しようとするとき(たとえば、カレーをつくる)、「公共スペース」の特徴について、あらためて考えさせられる。

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【この広場の水道は、ふだんは金属製のカバーで覆われ、鍵がかかっている。】

 まちは意地悪だ。ときおり、そう思うことがある。たとえば、一番象徴的なのは、水道だ。カレーをつくるのだから、当然、水が必要になる。調理用の水は、ペットボトルなどで別途用意するとしても、ちょっとした洗いものをするのに水場は必須だ。テントを張ってその日の居場所をつくるとき、ぼくたちは、人の流れや木々の場所などを考えつつ、水道を探す。この広場の水道は、とても立派な金属製のカバーに覆われていた。そして、水を使うためには、南京錠で固定されたカバーをはずしてもらわなければならなかった。そういう段取りになっていたし、カレーキャラバンの活動は器財の搬入などもふくめて、いろいろな調整をしながらすすめるので、もちろんそれでかまわない。だが、この立派な金属製のカバーを見ながら、複雑な気持ちになった。

いろいろ、理由を想像することはできる。「公共スペース」とはいえ、水道を私物化されては困る(水道代は誰が負担するのか)。イタズラされることも避けたい(補修やメインテナンスは誰がするのか)。だから、ふだんは鍵をかけて水道を見えないようにしておくのだ。もちろん、この広場は特殊な扱いなのかもしれない。だが、さまざまな「公共スペース」を眺めてみると、水道やゴミ箱も使えないようになっていることが多いことに気づく(ゴミ箱は、まちなかからずいぶん減ったように思える)。

まちは、いつの間にか窮屈で意地悪になっていた。「昔はよかった」と懐かしむつもりはない。だが、たとえば猛暑の日、まちなかでちょっと口を潤したいとき、ぼくたちはどこを目指せばよいのだろう。公園の水道は、もっと自由に使えるものだった。電車・地下鉄のホームなどにも、冷水機があった(もはや、ぼくの行動範囲では見かけなくなった)。いざという時の水分補給は、コンビニや自動販売機に頼らなければいけないのだろうか。それとも、ペットボトルや水筒を携行することが「自己責任」なのだろうか。いまでは、コンビニこそが、まちなかでぼくたちにひらかれた、優しい場所になりつつあるのかもしれない。ゴミ箱も(家庭ゴミを持ち込むのは問題だが)、水道やトイレも、まさに「コンビニエンス」を提供してくれるからだ。

f:id:who-me:20210224234416j:plain【ピカピカの水道(ハンドルなし)】

いささか大げさに見える金属製のカバーのことを話題にしたが、じつは、ひねることのできない水道は、ぼくたちの身近なところにたくさんある。とある公共施設の「外」水道も、ハンドルがなかった。水はすぐそこまで来ているはずだが、水栓をひねることはできない。すでに述べたとおり、簡単に使えないようになっている理由は、きっと「正論」だ。それは、わかっている。

 

まちをひらく

先日、「氷見 アーツ ダイアログ」で、藤浩志さんと対談する機会があった。そのタイトルが、「まちにひらく作法 まちがひらく作法」だった。具体的な事例や実践を紹介しながら、とても刺激的な時間を過ごすことができた。

カレーキャラバンの活動は、「公(パブリック)」と「私(プライベート)」との境界線について考えるきっかけになる *1。楽しい趣味として(あまり難しいことは考えずに)続けているが、50回近く、まちかどで鍋を炊くという体験を重ねてきたおかげで、「公」と「私」の「際」(きわ)でのふるまいについて、少しずつだが身体的に理解できるようになった。それは、「まちをひらく」方法や態度にかかわっている。

これまで述べてきたように、もし、現代の都市空間が「公」と「私」のいずれかの領域に分けられている(つまり「共(コモン)」と呼ぶべき領域がない)*2とするならば、やり方はふたつだ。ひとつは、「私」をひらくこと。たとえば、4月に上井草でカレーをつくったときは、カフェの駐車場にテントを張って、カレーをつくった。そして、カレーができると、ほんのわずかな時間だけ、駐車場と道路(つまり「公」の領域)との境界が曖昧になって、ささやかな広場ができた。これは、「プライベート・コモン」とも呼ぶべき場所だ。

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【私共(プライベート・コモン)|カフェの駐車場にテントを張って、人びとを呼び込む。】

 もうひとつは、まちなかの公園や駅前の広場など「公」の領域にテントを張るやり方だ。たとえば、駅前の広場は、ふだんは「通路」として使われていることが多い。急ぎ足で歩く人びとが、テントに気づいて足を止める。距離を縮めて、ことばを交わす。そして、滞留する。この流れを上手につくることができれば、「公」の領域は、ぼくたちにひらかれる(もちろん、鍵を解いて金属のカバーをはずし、水道を使える状態にしなければならない)。これは、「パブリック・コモン」と呼べるだろう。

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【道行くひとに、気づいてほしい。鍋をはさんで、ことばを交わしたい。】

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【公共(パブリック・コモン)|駅前の広場にテントを張って、人びとの動きを変える。】

 「まちをひらく」ための方法は、いろいろある。まだまだ一般的なことを言うには尚早だが、じつは、カレーキャラバンという活動は「水栓ハンドル」のような役割を果たすことができるのかもしれない *3。水は、確実にすぐそこまで来ているのに、「水栓ハンドル」がないために、水を出すことができない。そんなときに、誰かがどこかから(もちろんしかるべき手続きを経て)「水栓ハンドル」を差し出せば、水栓が開かれて、水が流れる。

ゲールは、都市空間におけるアクティビティに共通する特徴は、活動の融通性と複雑性だと指摘する。*4

…そこでは、目的をもった歩行、一旦停止、休息、滞留、会話が互いに重なりあい、頻繁に入れ替わる。予測できない、計画性のない自然発生的な行動こそが、都市空間における移動と滞留をひときわ魅力的にしている。歩いていて人や出来事を見かけると、立ち止まってもっと詳しく見たくなったり、さらに腰を落ち着けたり、参加したくなったりすることがある。

「ゆるさ」は、融通性と複雑性に向き合う態度だ。ぼくたちをとりまく生活環境において、「公」と「私」は、つねに緊張関係を保ちながら接している。そして、さまざまなきっかけによって、どちらかが(あるいは双方が)「ひらく」とき、「共」らしさをもった場所が生まれる。それぞれの想いは、すでに「際」(きわ)のところまで来ているのかもしれない。条件がそろえば、人は立ち止まる。大切なのは、「公」と「私」の緊張関係は、境界線を「共有」することによって成り立っているという点だ。

*1:この議論については、「ゆるさ」があれば(3)を参照。 http://blog.cloveken.net/entry/2015/04/25/203616

*2:参考:恩田守雄(2008)『共助の地域づくり:「公共社会学」の視点』(学文社)|恩田守雄(2006)『互助社会論』(世界思想社)

*3:調べてみたら、どうやらくだんのアレは「共用水栓鍵」と呼ばれているらしい。

*4:ヤン・ゲール(2014)「人間の街:公共空間のデザイン』鹿島出版会(p. 28)